百合営業、オタク営業、メンヘラ営業、隠キャ営業。
企業VTuberは自分の「キャラを立てる」ために、本来の人格ではないキャラクターを演じることがあるとおもいます。
クリスマスの季節は「隠キャ営業」がとくに目立ちます。
隠キャのファンを傷つけないように、敵意をむけられないように、擬態するわけです。隠キャはVTuberを仲間だとおもって親近感をいだきます。
ですが実際のところは────企業VTuberの多くにはたくさんの友達がいるし、たくさんのファンもいます。コミュニケーション能力も高い。ハッキリいって陽キャそのもの。彼らは輝いています。
そのことに、気づいてしまったら。
「隠キャたちのクリスマスパーティー!」とか「ぼっちだけど遊ぶよー!」とか、そんな雑な隠キャ営業にイラっとしてしまう────そういうこともあるかもしれません。
以下、ガチ隠キャが考察します。
「なんで隠キャのフリをするの?」
隠キャのなかには「攻撃的」な人間もいます。
仲間と楽しくすごしている陽キャたちが、許せない────「嫉妬」です。
問題をおこす陽キャたちをひとくくりにして、ここぞとばかりにネットでボコボコに叩く。根本にあるのは嫉妬です。ほかの理由はこじつけです。楽しげな陽キャたちをひとまとめに殴れればそれでいい。
陽キャたちは、隠キャから身を守らなければならない。
だからこそ隠キャのフリをして防衛します。
もちろんVTuberの場合は、「営業」や「ファッション」として隠キャのフリをすることもあるとおもいます。
「隠キャ営業ウゼェ!」
VTuberたちは、多くの隠キャを救っています。
「わたしも隠キャだよ!」と隠キャに寄りそって、楽しませてくれている。やさしいウソなわけです。
いや、正直たまにムカつきますけどね。ぜんぜん隠キャじゃねぇじゃんって。その隠キャ営業いる?って。うんこって。
ただ────昔は彼らも、たしかに隠キャ〝だった〟のかもしれません。
「隠キャ」は不治の病ではないです。努力をつみかさね、勇気をだし、隠キャから陽キャになれたというヒトも多い。
その経験をふまえて、もう隠キャではないけれど、隠キャに寄りそっている優しいVTuberもいるのかもしれません。
「どこからどこまでがガチの隠キャなの?」
すくなくともガチ隠キャはクリスマスに配信なんかしねぇよ。
隠キャにとってクリスマスは「嵐」です。
嵐すぎさるまでジッと耐えているだけ。嵐に乗っかるモチベーションはありません。
楽しげな喧騒から目をそむけ、踵をかえし、ひとりブログを書くようなやつがガチの隠キャです。
まとめ「理解しつつ楽しむ」
隠とか陽とかで人間を分けて────正直くだらないですよね。
隠れたいときもあるし、陽の目をあびたいときもある。
人間の感情は流動的です。「隠キャ」「陽キャ」はただの便利なカテゴリー名で、一生固定されるものではない。
自分は1人でいることが好きですが、大人数でいることも「たまには」好きです。だからこそVTuberが好きだし、配信でにぎやかしのコメントも打ちます。
ガチめの隠キャですが、陽キャとしての欲求も秘めているわけです。
まぁやっすい隠キャ営業は正直ウザいなーっておもいますけど、隠キャ営業はもはや社交辞令みたいなものかなと。
隠キャのファンたちとの付き合いを円滑にすすめるために、あいさつや褒め言葉の一環として、隠キャ営業をすると。もちろん防衛手段もかねている。
「気づいてしまった隠キャのファン」は、涙をふいて、やさしい気持ちになるしかない。やさしい気持ちになれないのなら、それはもうファンじゃないんでしょう。
隠キャも陽キャも、仲良くすごせたらサイコーですね。
VTuberは、そういうキッカケを与えてくれる存在かなとおもいます。
今回は以上です。よきバーチャルライフを────ではまた🐺