「知らない言葉を辞書やスマホで調べるのはオタク的行動。ふつうは読みとばす」
そんなテーマがTwitterでバズってました。
「マジメをオタクでひとくくりすんな」「なんで調べない側がマウントとってんだよ」って話ですが、「一理ある」ともおもいました。(元ツイが嘘松かどうかはおいといて)
「Google先生」、さいきんみんな使ってますか。
「もはや情報って、集まってくるものでしょ?」
いまのネットの情報は、「パーソナライズ」されてることが多いです。
直訳すると、「なにかを個人むけにカスタマイズすること」。
つまり「ユーザーの行動履歴をもとに、機械が情報を選択してくれる」わけです。
「広告」「検索」「SNS」「YouTube」でおなじみの機能。ユーザーがふだん何やってるかのデータを集めておいて、「最適な情報」をかってに用意しちゃう。
YouTubeの「あなたへのおすすめ」とかも、ぜーんぶパーソナライズされているわけです。「おまえこういうの好きだろ?」って。Google検索も設定をオフにしないとじつはそう。
インターネット全体が、いまパーソナライズにかたむいている。
だから「調べ物」って概念は、もう古い(ダサイ)んですよね。
「読みとばしたほうが効率いいよ!」
わからない言葉をいちいち調べていると、読了に時間がかかります。
著者によっては、むずかしい言葉を乱用することに「美」をかんじている場合もある。そんなナルシシズムにずっとつきあっていたら、読者は疲れちゃいます。
知らない言葉は、読みとばすほうが効率的────かもしれない。
一部にずーーっと執着するより、全体をさーーっと眺めたほうが、理解がふかまることもあります。
「だれかに聞けばいいじゃん」
調べ物したくない派は、「だれかに聞けばいいじゃん」ともおもってる。
ある意味、とても賢い。
自分で調べるより、言葉を知ってるだれかに聞いたほうがラクですよね。「アタマ」使わないでいいし。「へぇそうなんだぁ」ってうなづいてオワリ。
ただここで問題なのが、「他人の情報をうのみにする」ということ。
「あのヒトが言ってたならホントでしょ?」
自分で調べものをしないと、リテラシーは身につきません。
この「リテラシー」という言葉すら、おおくの人間は知らないまま読みとばしていくと。
「正義」が、他人まかせになってしまう。正しいか正しくないかを、他人の意見にゆだねてしまう。自分のアタマを使わない。そんなのはもう、死んでるようなもんです。
だれもかれもが調べ物をしなくなったら、人間はオワリ。機械にパーソナライズされた家畜がそこにいるだけ。
まとめ 「オタクとか関係ない」
オタクとか関係なく、「自分で調べる」ユーザーが減っている。
これはもう、インターネットの進化の必然です。
情報はパーソナライズされる。「おまえこれ好きだろ?」って、どんどん勝手に集まってくる。調べ物なんて、時代おくれだ。
人間のリテラシーは、どんどん無くなっていく。
そのさきに何があるのか。パーソナライズで人格がコントロールされた社会か、より良く情報を取捨選択できる社会か、個人的探究心で興味があります。デュクシデュクシ。
今回は以上です。よきネットライフを────ではまたφ(・ω・ )