Twitterで「二次創作」の炎上がふえました。
「いや、いつも同じやつが燃えてるだけだから!」────自分はそうは思いません。着実に二次創作が嫌いな人間がふえている。
以下、その理由を考察していきます。
この記事の目次
「そもそも犯罪じゃん」
許可のない二次創作の収益化は、「黙認」されているだけで、ただの犯罪です。
「親告罪だから作者が訴えないかぎり犯罪じゃないし!」という意見は、まぁふつうに考えてスッキリしませんよね。なんかトンチみたい。
「訴えられないうちは犯罪者じゃない」
これ、弁護士の方々が明確に否定をしています。
▼ 「親告罪の犯罪は告訴がない限りは犯罪ではない?」への解答
裁判にかけられていないだけで、犯罪は犯罪なわけです。
つまり、許可なく稼いでいる二次創作者は、ただの犯罪者。
法令遵守している人間からしたら、嫌な存在です。
「公共の場で気持ち悪いモンみせてんじゃねえよ」
Twitterはもはや、日本の重要なインフラです。
そこで二次創作者たちは、規制されない程度に活動をしています。
で、なにが問題って────「二次創作であつかう題材」です。
ブログじゃ書けないような陰湿で陰惨なテーマをあつかうことが多い。「二次創作といえば○ロ」。だれも否定しないでしょう。
Twitterをみるのは二次創作愛好家だけではありません。
ふとしたタイミングで目に入ってしまう。
キツいですよね。大嫌いなものがとつぜん目の前に飛びこんでくる。TwitterはコンテンツのパーソナライズがむずかしいSNSなので、防ぎようがありません。YouTubeとはちがう。
すこしずつすこしずつ、ヘイトが積みかさなっていく。
「他人のフンドシでなにイキってんの?」
人のフンドシで相撲をとる────
そんな言葉があるくらい「労せず勝手に他人のものを利用して、都合よく目的を果たす」ことは、基本的に好まれるものではありません。
二次創作は、オリジナルを都合よく改変したものです。また、一次創作よりはるかに労力がすくなくすむ。いってしまえばパクりです。
「すべての創作はなにかのパクりだろ! だから二次創作も許されるんだ!」────こういう意見があるわけですが、苦しい言い訳ですよね。ただの論点ずらし。
一次創作にくらべて、二次創作のほうがカンタンなのは明らかです。そのうえ権利者にロイヤリティを支払うこともなく、ときに平和な世界で生きているキャラクターを酷い目にあわせ、勝手に改変してしまう。
なぜ二次創作者が、いっぱしのクリエイターのように発言しているのか。なぜTwitterでイキっているのか。なぜ儲けているのか。おまえの作品じゃないのに。
一次創作を愛する人間からしたら、激しく疑問でしょう。
「感情論でしか反論できてなくね?」
前述のとおり、許可のない二次創作の収益化は犯罪です。
この事実はくつがえせない。だから感情で反論し、論点をすりかえることしかできない。
「こいつはロクでもないやつだから言うことをきくな!」「この意見はバカバカしい! ただの妄言だ!」「黙認されてるからイイったらイイんだ!」────子どもがダダをこねているようですよね。
じゃあ、ほんとうは何が言いたいのか。
「俺は好きなんだから許せよ!」
二次創作が好きで好きでしかたない、二次創作でどうしても儲けたい────だけど犯罪だ。犯罪だけど…………うるせえな! ごちゃごちゃ言ってんじゃねえ! 許してくれよ二次創作くらい!
犯罪者の理屈なわけです。
犯罪者の理屈は、法令遵守している生真面目な一般人からしたら、「は?」って感じです。
そして、感情論には感情論を。
二次創作が好きだという人もいれば、嫌いだという人もいる。
「二次創作はクリエイターを育てる?」
「二次創作文化はクリエイターを育ててきた! だから重要な文化なんだ! 守らなくちゃいけない!」
これも論点のすりかえですよね。
たしかに二次創作文化が一部のクリエイターを育てた背景もあるでしょう。だからといって犯罪が正当化されるものではないし、一次創作専門のクリエイターだって立派に育っている。
もちろん、育たないこともある。「二次創作のほうがいっぱいRTもらえるし、一次創作はもういいかなぁ」────これは、一次創作文化の芽を潰していることにはなりませんか。
「○○にも良いところはある!」
なんにでもいえることです。逆もしかり。「○○にも悪いところはある」────二次創作の場合、それがたくさん目立っている。だから多くの人に嫌われはじめている。
そんなに大事な文化だと主張するなら、公式をまきこんで「ガイドラインづくり」を徹底してやるべきだった。実際に、ちゃんとガイドラインをつくって二次創作界の代表コンテンツになっているものもある。
それを「黙認」という「事なかれ主義」に甘えて、ここまできた。
公式もまた、甘えていた。
結果、二次創作市場が増長しすぎて、一次創作市場に多大な影響をおよぼしている。それは決して、良い影響だけじゃない。
裏でコソコソやっていればよかったものを、育ちすぎた。
まとめ「文化が次のステップに進んでいる」
個人的におもしろいとおもう流れは「VTuber」です。
VTuberたちは、独自にハッシュタグを用意して、ファンアートを投下してもらっている。ゆるやかな自治がおこなわれている。
VTuberはいわずもがな、創作の「ガワ」を被った、人間です。
もし友人が、他人の手によってひどい目にあわされたら────許せないですよね。その加害者を、逆にひどい目にあわせてやりたいとおもいますよね。自分はおもいます。
またもし友人が、「ガワ」だけ同じまま他人とすりかわったら────気持ちがわるいですよね。激しい拒絶感をおぼえる。そんな状況を生みだした犯人がいるなら、許せない。
人間と創作の境界が、あいまいな時代です。
創作を、人間のように愛する人間がふえている。
そこに従来の二次創作文化がある。
今までのようにやっていけるんでしょうか。「ガワ」だけ同じキャラクターを、好き勝手に改造し、許可なく儲ける、犯罪者。
「嫌なら見るな!」
詭弁家がよくつかうセリフですね。「嫌なら見るな」⇒「見ずに批判するな」⇒「嫌なら見るな」 こうやってループしてしまうので、結論がでないシステムになっています。とても便利です。
個人的な結論としては────
- 公式はガイドラインを用意するべき
- 二次創作者は公式に従うべき
こういうシンプルな話なんじゃないでしょうか。
「いや、話はもっと複雑でぇ……もっと綿密な議論が必要でぇ……」────ただの先延ばしの事なかれ主義ですよね。あるいは詭弁家の常套手段。
公式がガイドラインさえ用意すれば、「ガイドラインに従ってますけど?」と二次創作者はカンペキな反論ができる。二次創作否定派は、ガイドライン違反者のみを公式に通報すればいい。
公式はオリジナルコンテンツを守ることができる。また、うまくガイドラインを設定できれば、二次創作コンテンツを宣伝のために活用できるでしょう。それこそWin-Winな関係。
困るのは一部の犯罪者だけです。
VTuberを筆頭に、そのへんの文化は形成されつつある気がするので、個人的にはわりと楽観視しています。
公式と二次創作、きっと良い関係になれるはずです。
今回は以上です。人生によき創作を────ではまた。