「新スーパーマンはバイセクシャルだ!」
出版社が大々的に宣伝した結果、SNSを中心に炎上しました。
なぜ炎上したのか。ポリコレ事情とからめつつ考察していきます。
この記事の目次
「炎上マーケティングじゃん」
出版社(DCコミック)は、炎上させるために大々的に発表をした。
いわゆる炎上マーケティングです。
実際話題になりました。プレスリリースだけではなく、各メディアがこぞって今回の炎上をとりあげた。政治思想の押しつけであるポリコレの話題は、いま多くのネット民が批判的な関心をよせています。火種があるのはわかりきっていた。
炎上マーケティングは、もともと好かれている手法ではありません。
マジョリティ(多数派)の感情を逆なでし、怒りを利用して宣伝する邪法です。のちに被害者ヅラをすることで、マイノリティ(少数派)の根強い擁護者を獲得することもできます。
出版社は、多数派に嫌われて当然の手法をとりました。
「既存キャラの系譜でやるなよ」
スーパーマンの歴史はながく、初出は1938年とされています。
新スーパーマンは、元々のスーパーマンの「息子」です。
なので「別キャラクターだからいいじゃん!」という話にしたいようですが、スーパーマンという看板を背負っている以上、無関係とはいえません。
また新スーパーマン自体も、もともとバイセクシャル設定を押し出していたわけではなく、「後付け」と感じたファンも多かった。(コンビを組んでいたバットマンの息子とのカップリングがファンの間で根強かったので、そういう裏切りの意味でも炎上した模様)
「今までのスーパーマンをねじ曲げられた」
アメコミは複数の作者が1つのキャラクターを描くのが特徴でもあります。なので今回も平常運転といえば平常運転ですが、スーパーマンはアメコミにとってあまりに象徴的な存在だった。
「やるなら完全新規のキャラクターでやってほしかった……」
政治的・商業的な理由で仕方ないとはいえ、ライトなファンもディープなファンも困惑した。
「セクシャルなことは秘めてよ……」
ヒトとヒトとの「キス顔」が、各メディアでばんばんばんばん掲載された。
それを「恥ずかしい」と感じるのは人間の生理的な本能です。異性同士でも同性同士でも関係ない。本来は秘めごとである性的な愛情の行為を、家族のまえで見たいヒトは少ないでしょう
出版社はあえてセクシャルな場面を切りぬき、各メディアにバラまいて、一般層の恥ずかしさと嫌悪感を煽った。すべては炎上マーケティングと政治思想の押しつけのためです。
ただ、キス顔もまた表現の自由ではあります。
ポリコレ勢力は表現規制を行いながら、都合のいいときだけ表現の自由を利用する醜悪なところがありますが、それを差し引いても、表現の自由そのものは守られなければならない。
「プロパガンダってウザい」
フィクションに露骨にプロパガンダ(政治的な宣伝)をもちこむ。
これを激しく嫌う人間は多いです。
もともとアメコミジャンルはプロパガンダの性質が強く、戦時中は敵国を人種差別的に侮辱するようなシナリオも多く発表していました。政治に利用されていた。
アメコミといえばマーベル映画やDC映画の華やかなバトルエンターテインメントを想像する人も多いとおもいますが、その内側には強い政治思想を秘めたクリエイターたちの血脈があります。ただあまりに思想が一辺倒なので、ジャンルが偏り、日本のマンガとくらべて多様性がない。
その政治的な血脈が、欧米ポリコレ大流行で、また騒ぎ出している。
そして日本のネット民の多くは、「うっとうしい」と感じている。
「正義ヅラしてんじゃねえよ」
ポリコレ(政治的な正しさ)は、いま欧米で大流行中の政治思想です。
「差別するな!」「正しい描写をしろ!」と叫びつつ、正義の側として他者を殴りつける。一部の人間にとってはセ○クスやドラ○グ以上の快感でしょう。
そしてポリコレは、「ヒーローもの」とあまりに親和性がよかった。
暴走した正義で葛藤するのもまたヒーローものの定番ですし、暴走と自覚せず正義をふりかざしつづけるのもよくあるエンタメです。
ただ、自分を正義と思いこんだ人間ほど邪悪なものはないという考えも根強いです。
ポリコレに対する反発のおおくは、そこにあります。
邪悪な人間が、正義ヅラして「ポリコレ棒」を振りかざしているだけなのではないか。
「これアウティングじゃね……?」
アウティングとは、他人がおおやけにしていない「性的指向」をバラす行為です。
たびたび国内でも問題になり、ニュースで言葉を耳にした方もおおいとおもいます。「あいつはゲイなんだ!」「バイセクらしいよ」「あの子たちレズなんだって」。
本人が望んでいないのに、他人が勝手に暴露する。
LGBTへの世界の差別は根強いです。アウティングの被害者は、突然望まない差別にさらされることになる。
今回の新スーパーマンの発表は、出版社によるアウティングです。
出版社はバイセクシャルを自然な性的指向ととらえず、異質で異常なものとして扱い、「どうだどうだバイセクシャルだ!」と晒しまわった。
反差別だの正義だのといいつつ、やっていることは差別主義者の無神経な行為であり、矛盾している。ネット民はその「偽善」を強く感じとった。
出版社は新スーパーマンを売りたいがあまり、大々的にアウティングをして、炎上マーケティングをおこなった。あげくポリコレに配慮しているような正義ヅラまでしている。
ハッキリいって邪悪な行為です。
まとめ「高まるポリコレへの反発」
BLも百合もケモナーもメカも巨乳も貧乳も、「あらゆる性癖」がすでに許容されている多様性だらけの日本のオタク文化に、ポリコレは土足で入りこんで「これが正義だ!」と花々を踏みあらしている。
ポリコレ勢力はあらゆる表現媒体に「圧力」をかけ、表現のありかたを「政治的に正しい姿」にねじ曲げようとしている。ゲーム、マンガ、映画、ドラマ────もはや影響をうけていない業界は存在しません。
すこしずつすこしずつ、ポリコレが調子づき、ポリコレへの反発が高まっていた。
今回の新スーパーマンの炎上は、「嫌同性愛」ではなく「嫌ポリコレ」が主原因です。
「黒人をいれるべきだ」「アジア人をいれるべきだ」「同性愛者をいれるべきだ」「ブサイクをいれるべきだ」「美男美女だらけにするべきではない」「巨乳をえがくべきではない」「この人種を悪としてえがくべきではない」────
ポリコレによる表現規制にはもうみんなウンザリしていた。そして今回の新スーパーマンも、ポリコレ配慮によってねじ曲げられたと感じた。
「スーパーマンは、ポリコレに負けちゃったのか……」
怒りだけではなく、哀しみの反応もあった。
個人的には、バイセクシャル描写もまた表現の自由だとおもいますし、勝手にやればいいとおもいます。ただ、わざわざメディアをつかって「バイセクシャルだ!」と大宣伝するのは、どうあがいても政治的な意図を感じますし、キャラクターや当事者の感情を商材としか考えていない版元のビジネス的な残酷さを感じます。
ポリコレの圧力はこれからもっと強まるでしょう。
異性愛者は同性愛者になり、白人は黒人になり、巨乳は貧乳になり、美人はブサイクになる。多数派がムリヤリ少数派にさせられていく。多様性のためにバランスを取れと圧力をかけられ、むしろ多様性がなくなっていく。
狂気の同調圧力の時代、そんななかでも「自分の好きなもの」を信じ、求めつづけるクリエイターやファンが残ることを祈ります。
今回は以上です。よきエンタメライフを────ではまた。