「小説」は、ほんとうに苦しい状況です
「なぜ小説はオワコンなのか」は、この記事ではあまり掘りさげません。機会があれば別の記事にまとめます。
「小説はオワコン」という前提で、「小説家の未来」を前向きに考えていきます。
この記事の目次
「小説とったら小説家に何が残るの?」
- 体力
- 取材力
- 世界観力
- キャラ力
- ストーリー力
「体力」────執筆はすさまじく体力(集中力)を消耗します。肉体労働や、シンプルな知的労働とはまたことなる疲労感です。小説家は「長く書きつづける」ことができる。
「取材力」────中身のある小説には「知識」が必要です。自然、小説家は「取材」をかさねます。リアルにしろネットにしろ、日々知識をむさぼっている。
「世界観力」────小説家は世界を創ります。「世界の見た目」ではなく、「世界の中身」をつくる。世界観を構築することに長けています。
「キャラ力」────小説家は人間を創ります。「ヒトの見た目」ではなく、「ヒトの中身」をつくる。そのヒトが、「いつどこでなにをどうしてどのように」行うのか、ふかく洞察している。
「ストーリー力」────物事には必ずストーリーがあります。「起承転結」「三幕構成」「シンデレラ曲線」、得手不得手はあるにしろ、小説家はつねに意識している。話の「筋」をよみ、つくるのが得意です。
「これからの小説家には何が必要?」
- IT力
- デザイン力
- プロデュース力
- ほかの職業力
これから────というか「今」の小説家には、「小説以外の力」が必要だとおもいます。
小説は「言葉の羅列」です。言葉は、単体ではほとんど機能しません。ほかの物事と組み合わせて、はじめて真価が発揮される。
ふるい時代の小説家は、小説だけ書いていれば生きていけたかもしれません。ですが現代は、出版業界がとても苦しい状況です。ほんの「ひとにぎり」の成功者しかいない。もはや出版業界には、ミニマムな未来しかない。
「出版業界以外の活躍の場」を、第一に探さなければいけない。
「小説はいつ書くの?」
小説はもう量産しないでいいとおもいます。
なぜって、小説の需要がもうほとんどないから。
この御時世、ストーリーが世の中にあふれかえっています。あきらかな「情報過多」です。脳ミソのキャパをはるかにこえている。いつしかヒトビトは、無意識に「活字の長編シナリオ」をシャットアウトするようになった。
「小説の量産」ではなく、「小説技術の活用」を目指していく必要がある。
「小説技術って何に活用できる?」
小説技術は、なんにでも活用できるとおもいます。
以下、ざっくりと例をあげます。
- 放送作家
- マンガ原作
- ブロガー
- ソシャゲライター
- WEB編集者
- マーケター
- プランナー
- 教師
- 記者
- 言葉を使うあらゆる仕事
「言葉やストーリーを使わない仕事」って、ごくごく限られた肉体労働くらいです。
「それでも小説かきたいんだけど!」
小説をかく理由は、なんですか。
お金? 最適な職業選択? それとも表現?
「小説でなければならない理由」は、何一つありません。仮にそうおもっているなら、ただの思いこみや弱気です。
小説でできることは、すべて「代替」がききます。
「マンガ」「映画」「ゲーム」「ドラマ」────ほかにもいろいろ。芸術分野にかぎったことでもない。あらゆる媒体が、小説にとってかわる。
小説である必要なんて、「技術的に小説しかつくれない」時くらい。
「だれでもつくれる」ことは、たしかに小説のアドバンテージですが、同時に最大のデメリットでもある。差別化がしづらいため、この世の「活字コンテンツ」すべてがライバルになります。
────それでも小説を書きたければ、書けばいいと。個人の自由。
ただそれだけの話だとおもいます。
まとめ 「あんたはどうする?」
自分は小説家をめざしてました。
じっさいに商業出版して、「現実」をみた。上手くいっているヒトもいますが、ダメなヒトのほうがはるかにおおい。「出版」そのものがもはや破綻しかけている。電子書籍の未来もじつにミニマムだ。もうこの船は、おおくのヒトをのせられない。
自分は────小説技術を活かす道をさがします。
長編シナリオは、「時間対効果」からみて、もうあまり書かないとおもいます。作者にとっても読者にとってもメリットがすくない。
シナリオのひとつひとつが長い必要はない。むしろいまの時代は、「断続的にゆるく繋がっているストーリー」のほうが求められている気がします。
創ったキャラクターたちも、べつの場所で生かせばいい。活字におこさなくたって、彼らの物語はそこに在ります。活字が、表現のすべてとは限らない。
小説がきえても、そこに小説はある。
今回は以上です。人生によきストーリーを────ではまたφ(・ω・ )