ノートのありがたみ

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 2013-04-07 15.42.31



 ここ一週間はひたすら絵の作業と練習の日々。
 創作ノートに、覚えた知識や気がついた事をちょいちょいメモしていった。
 イラストのハウツーって、シナリオのハウツーよりよっぽど体系化されてるけど、情報が乱立してるから自分でまとめていかないとキツい。好みもあるし。
 「描きまくってるうちに上手くなれるよ」っていうのは真理なんだろうけど、理屈で考えたい人間にはそれだけだと心もとなくて。
 数描いて上手くなった人は、上手くなる行程の中で、「結果的に数を描いてきた」ってことなんじゃないかなと。何も考えずに作業して上手くなるなんて、オカルトかセンスの世界だろうよ。
 そういうことひっくるめて「数を描け」ってことなんだろうけどさ。

 最近になって創作ノートや作品別ノートをせっせと取り始めたのは、記憶と整理の能力に限界を感じたから。
 病気やら薬やらの影響でここ数年、かなり記憶力と思考力が落ちていた。
 減薬し始めたら、驚くくらいに頭の回りがよくなった。睡眠時間が少なくても身体が持つようになってきた。
 脳の働きが衰えていた時期のことを思い返すと、「ああ、老化ってこんな感じなのかな」って二十代の若輩ながら思った。
 物書きの寿命が短い理由もわかったような気がする。
 頭の回転が鈍って、情報が整理できずにいると、書くことが苦行でしかない。何を書いてるかもわからなくなってくる。

 物が覚えられないなら、ノートを取るしかない。学生時代の気持ちに戻ってみることにした。
 これがまた、始めてみたらすごく情報が整理できて、むしろ時間の短縮になるというか。
 学生が授業聞いてノート取る意味って、こういうことなんだろうな。
 手を動かして書いてみることで、まとまっていくこともある。
 「頭の中にある言葉を実際に手を動かして書く」ってことが、大事なんだと思う。
 頭の中にあるけど、実際に書いてみようとすると書けないっていうのは、往々にしてある。カラダは正直。
 デジタルのメモは、読み返しづらい。モニターが一つしかなかったら、作業しながら読み返すのが手間。何冊も同時に読めない。

 学生の頃は、あんまりノートの必要性は感じなかったんだけどな。
 教科書を音読してればある程度は理解できたってのもあるし、教師のクソみたいな板書を写す作業に徒労感も覚えてたし。
 「ノートを作ること自体が作業化してしまっている」感も相まって、ノート不要論を自分の中で生んでいた。自分のためのノートじゃなかった。
 今こうして、創作ノートやら作品別ノートを自分の手で作ってみると、脱力するくらいに「ありがたみ」を感じる。
 ノート自体へのありがたみもそうだけど、学生時代に勉強ノートを作っていたノウハウが今になって役に立ってるのかなぁと。月並みな感謝。
 本当の「勉強」ってこういうことなんだろうかね。
 強制される勉強の不毛さってのも、改めて感じる。

 ノートは昔からずっとルーズリーフ派。
 あとで入れ替えできるし、枚数継ぎ足せるし、仕切りも入れられるし、書き味が微妙だと思ったら別の紙を買えばいい。拡張性がある。
 ただ、ベースとなるファイルが固くてページを捲りにくいなと思っていた。
 でも最近だとグニャグニャに曲がるファイルあるのな。丸められるくらい柔軟性がある。これはホント便利だわ。