クリエイターが「お金を稼ぐ」ことを、嫌う消費者がいる。
ただの「嫌儲思想」かとおもえば、雰囲気がすこしちがいます。
「悪いことして稼ぐんじゃねぇ!」ならわかりますが、クリエイターのほとんどは悪いことをしているわけじゃない。
なぜ────「クリエイターが対価をえる」ことを、毛嫌いし、軽視する人間がいるのか、気になったので考察してみました。
「しょせんはデータでしょ」
「物質以外」を軽視しているパターン。
ほとんどの創作物は「データ化」できます。
電子データは、「腕時計」や「タコヤキ」みたいに、手でさわれるモノではない。
「手でさわれない ≒ 無価値」
この思考の場合、「サービスの価値」も軽視している。
「みんなタダで公開してるじゃん!」
無料コンテンツの氾濫で思考停止しているパターン。
「ゲーム」も「動画」も「イラスト」も、今みーんなタダでみられます。
「なぜ無料で提供されているのか」を、想像できない。かってに「善意の無償奉仕活動」と「曲解」している可能性すらある。
「有料コンテンツ = 普段しなくていいことを強要するイヤなヤツ!」
「おさない子ども」におおいパターンだとおもいます。
「クリエイターとかウゼェし」
クリエイターそのものを嫌っているパターン。
「個人的なうらみ」「チヤホヤされてるのがムカつく」────たんなる「悪意」で、活動をジャマしようとしている。
本人が「悪意」を自覚しているぶん、まだ他のパターンよりわかりやすい。
「オマエはまだその実力じゃない」
勝手に「商品価値」を決めちゃってるパターン。
「時給○○○円」という考え方を、創作物に当てはめられない。
「5時間かけたイラスト」があったとしても、「ん~、これはヘタクソだから0円!」とか、本人が勝手気ままに商品価値を決めてしまっている。
いわゆる「ブラック思想」。
「最低賃金という概念がなぜあるのか」を、理解できない。
「クリエイターがどれだけ苦労したのか」を、想像できない。
「何時間働くとふつうは何円になるのか」を、計算できない。
クリエイターを単純な機械かなにかだとおもっている。「創作物の価値」しかみていない。「サービスに報酬が支払われる」という概念が、そのヒトにはわからない。
「悪意の行動」なのに、本人にその自覚はない。
「応援してるからタダでやれや」
逆にクリエイターに対価を求めているパターン。
「応援してます!」────言うだけならタダです。言わなければもっとタダ。
編集部にファンレターおくって続刊を支援するレベルならともかく、ただチョロっと「応援している風」をみせたり、「アタマのなかで応援している」だけで、「わたしイイコトしたなー」とおもう消費者がいる。
それだけならべつに、まったく問題はない。むしろ「善」の存在です。
問題なのは、「応援してやってるんだからタダで働け!」という、すさまじく「傲慢」な消費者があらわれてしまうこと。
「自分の応援のきもち」に、「過剰な価値」を感じている。
この思考の消費者にとっては、「自分の応援のきもち >> おかね」なわけです。
「大事なのはココロ! 応援のきもち! お金なんかいいじゃない!」。クリエイターが、「霞」を食って生きていけるとおもっている。
こういう消費者にかぎって、じつは応援のきもちがまったくない。
「打算」だけで応援して、かってにアンチになる。クリエイターにもありがちな、いちばんタチの悪いパターン。
まとめ 「両者ともに想像力がない」
クリエイターと消費者、ともに「想像力がない」から、こんな地獄が生じるのかもしれません。
想像力があって、「自分と相手の価値」をちゃんと理解できるヒトなら、創作で生きていけるクリエイターになれるし、純粋に創作をたのしめる消費者になれるのかもしれない。
自分はまだ、どちらにもなれていない。
いつか、よいクリエイター、よい消費者になりたいものです。
今回は以上です。人生によき創作を────ではまたφ(・ω・ )