「続編希望」という言葉を信じてはいけない5つの理由

 

ヒット作品が出ると、同時に「続編希望!」という声が出ます。

この言葉、昔はそれなりに信じてました。ですが今はほとんど信じていません。「信じられない」というより、「信じてはいけない」といった感じです。

以下、すこし迷いましたが、整理がてら書きました。

 

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続編希望者は続編への期待値が高すぎる

 

続編を希望するということは、「こうなったらいいなー」という希望的展開が、薄ボンヤリとその希望者の中に存在するということです。

そうした人々を満足させることは、並大抵のことじゃない。

おそらく二択だと思います。「完全に希望者の希望に沿った続編を作る」か、「希望者を裏切りつつさらに面白いと感じさせる続編を作る」か。

つまるところ、ハードルが高すぎる。

 

 

新規ユーザーとの二択も迫られている

 

「完全に希望者の希望に沿った続編を作る」か、「希望者を裏切りつつさらに面白いと感じさせる続編を作る」か────

さらにエグいのは、仮にそのどちらかを達成したとしても、「他の人々が満足するわけではない」ということ。

続編希望者を満足させ、さらに新規ユーザーをも満足させる続編」なんてものは、さらに上をいく難しさです。

結局、「どちらかを選ぶしかない」。

そこで疑問なのは、「続編希望者と新規ユーザー、どちらを優先するべきなのか」ということ。またさらにエグい問題にブチ当たるわけです。

 

 

続編希望してさっさと忘れるユーザーが大多数

 

続編は、すぐには出来ません。

規模の大きい創作物ほどそうです。続編を想定していなかった作品はなおのこと。ユーザーの中には金太郎アメ感覚でポンポン新作が出てくると考えている方もいるかもですが、決してそうじゃない。

そして果たして、続編希望者は続編が出るその日まで制作側を追っているのか

まず追わないと思います。続編が出るその日までほとんど忘れているか、続編が出てもぜんぜん気がつかない。「べつに何もしないし見ないけど影ながら応援してます心の中で」というのは追っているうちには入らない。

続編希望者の大多数は、その瞬間瞬間に要求をするだけです。

 

 

前作の記憶は風化する

 

続編が出るまでに、仮に3年かかったとします。

完全に覚えてますか、前作の内容。

そして当時と同じ熱意で言えますか、「続編希望」と。

ここでまた、ふるいにかけられるわけです。続編希望者はどんどん減っていく。作者がせっせと続編を作っても、「ああ、まだやってたんだ」と。

 

 

制作環境/媒体は常に変化している

 

よくゲームである話です。「えっ、次回作3DSなの? プレステがよかったな……

制作環境や媒体なんてものは、常に変化しつづけています。

そして「続編希望!」という言葉の中には、「なるべく早く公開してね?」「こういうシナリオ展開がいいなー!」「同じ媒体で同じ感覚で出してね?」「絵師はこのヒトでー、声優はこのヒトでー」────といった思惑が隠されており、往々にして続編希望者の願いは〝過去〟で止まっている

制作者は〝現在〟にいるのに、続編希望者の願いは〝過去〟にあるわけです。

そこで凄まじい齟齬が生じる。また正確に言えば、続編希望者の願いもまた、時と共に微妙に変化しつづけている。あまりに複雑です。

 

 

まとめ

 


じゃあ制作者はどうすればいいの?


んなもん自分の感性で決めろよ


えぇ……


自分のために作るのか、既存のために作るのか、まだ見ぬ誰かのために作るのか────作らないのか。唯一の正解なんてない。せいぜい言えるのは「難しい」ってことだけだ


ああ、キミもわからないのね

 

おまけのアンケ

「続編希望!」があったらどの要素を最も重視するべきだと思う?

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続編を希望されたら、単純に嬉しいし、その願いを叶えたいと考えるのが制作者のサガだと思います。

ただそこで、えげつない壁にぶつかる。そんな壁について考えてみた話でした。

今回は以上です。良き続きモノライフを────ではまたφ(・ω・ )

 

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