「創作」はもはや、主役ではなくなった。
創作は、なにかを成し遂げるための「ツール(道具)」でしかなくなった。いまのコンテンツ市場をみていると、そんな風にしかおもえません。
何のためのツールか。それは「集金システム」「プロパガンダ」「承認欲求」「癒やし」のためのツールです。
「集金システムとして優秀なソシャゲ」
和製ソシャゲは、「集金」に特化しています。
射幸心と収集心をあおって、ガチャをまわさせる。好きなキャラクターがほしいから。これは「キャラクター」という創作技術を、集金システムにうまく利用している。
キャラクターを「ただの記号」とみるヒトもいれば、「生きた人間」とみるヒトもいます。好きなキャラクターを人質にとられて、金を要求されているわけです。
集金は、あらゆる創作物の基本ですが、和製ソシャゲはとくにその傾向がつよい。「創作するための集金」ではなく、「集金するための創作」なわけです。
「プロパガンダには小説と歌を」
心理学に「エピソード記憶」という言葉があります。
カンタンにいうと、「エピソードをともなう記憶は忘れにくい」ということです。
「ナイフで切ると痛い」という単純な意味記憶よりも、「子どものころナイフで切られた! 痛かった!」というエピソード記憶のほうが、強い。あたりまえですね。
ゆえに「小説」や「歌」は、プロパガンダに使いやすい。
プロパガンダは、「(おもに政治的な)主義主張を宣伝すること」。小説や歌はまさにそうです。言葉を媒体にして、伝える。エピソードをともなうから記憶にもすり込まれやすい。
ディズニーキャラやアメコミヒーローも、かつては戦争のプロパガンダに使われていました。もちろん、アメリカの敵国だった日本人も、ディズニーキャラやアメコミヒーローをつかって貶されていた。そういう意味では、古から創作はすでにツールだったのかもしれません。
「承認欲求のためのTwitter小話・イラスト」
Twitterで、金にもならないのにオモシロ話やイラストをのせているヒトがいる。
その原動力は、「承認欲求」です。
いいね!やリツイートがほしい。だから注目あびるようなことをたくさんいわなきゃ。みんなに見てもらえるとうれしい、ほめてもらえるとうれしい。それだけ。おさない子どもがほめられるとうれしいように、大人だってほめられたらうれしいんだ。
これはイイ言い方をすると、「コミュニケーションツール」として使っているわけです。内実はただマウントとりたいだけかもしれませんが、創作技術をつかって、他人と交流をしている。
「癒やしグッズとしての創作」
日本は、ストレス社会です。
とにかく現実がイヤで、みんな癒やされたがっている。カワイイ、キレイ、えっちぃ、びっくり、すっきり、わらい。とにかくストレスを発散させてくれ。
文学? 哲学? 芸術? ────どうでもいい。大事なのはストレスだ。
創作でアタマなんて使いたくないわけです。
まとめ 「創作でなにをしたいか」
「創作」はもともと、「ツール」なのかもしれません。
あらゆる事象を実現するための、道具。創作が主役なのではなく、「目的こそが主役」なのだと。
創作でなにを実現したいのか。
創作する意味がわからなくなったとき、それを考えてみると、手がかりになるかもしれません。