もうすぐサークル活動10周年です。
達成感はあまり無いです。むしろ虚無感とか、失望感が強いです。
その失望感の矛先が自分自身だけだったら、どんなに向上心に溢れたものかと思いますが、残念ながらそうじゃない。
そしてこの失望感が、ただの「すり替え」だということも自覚しています。
自分は単に、周りの人々と「幸せ」を共有できないことが、非常に妬ましく、寂しく、辛いだけなんだろうなと。
以下、思考の整理がてら書いておきます。
建前を言ってしまえば、今のオタクの消費スピードや好き嫌いについていけない。(言葉にするとあまりにバカバカしい響きですが)
自分も限りなくオタクなんですが、たぶん「マニア」の気色が強いんですよね。オタク文化そのものを愛好しているというより、その中の「創作活動」というカテゴリにひたすら執着して、研究し続けている。
研究のために、流行りの和製ソシャゲにも手を出しました。ぜんぜん面白いと思わなかったです。ただ、周りがみんな面白いと言っているので、その人たちに嫌われまいと「面白いっすね!」みたいに上っ面だけ合わせていた。で、そんなふうにムリしてミーハーオタクに迎合してる自分を俯瞰してクソ食らえと思って、スーっとそれらのゲームからフェードアウトした。(ある意味一番ミーハーなイナゴムーブだったかもしれない)
混じって愉しめたらどんなに頭が幸せか。
あんなクソグソを楽しめるヒトビトの人生は、よほど幸福に満ちている。煽りとか妬みとか抜きにしても、本当に羨ましく思う。
────以上、ルサンチマンがよくやる、認知的不協和の解消の手口です。「自分以外がオカシイんだ!」と、必死に思い込もうとするやつ。
矛盾は自覚してるんです。
「あんたが先に失望したんじゃない。こっちが先に失望したんだ」────そういうくだらない争いがしたいわけでもない。
でも、完全にはウソではないから、ややこしい。
本当に心にあるのは、「自分が面白いと思われないこと」への悔しさで、本当は、つまらないと思っているものも、心のどこかでは面白いものだと認めている。ただ認めたくないだけで。ソシャゲも、Vtuberも、Twitterマンガも、みんな努力して面白いものを作ろうとしてる。悔しいから、それらをつまらないものだと思いたい。
結局は、自分への失望感を、鏡で見ているだけ。
何のために創作をするのか。
単なる現実逃避の手段なら、もうやめちまえ。
そうじゃないなら、見つめ直せ。