現代人の脳ミソはもう限界だ。
少なくとも「ストレス」という点においては。
インターネットは情報過多におちいり、「自分で見つける時代」はおわった。さがす苦労なんかせずとも、勝手に情報があつまってくる。
長文をかく必要も、よむ必要もない。140文字でじゅーぶんだ。むつかしい漢字をつかう必要もない。へたすると「あっ、あっ、あっ」とか「尊いっ」とか「エッッッッッ」とかいってれば、なんとなく話がつうじる。もはや人間かもうたがわしい。
ふくざつなゲーム性もいらない。キャラがかわいくて、かっこよければ、それでよし。3つのこうげきほうほうから、すきなのを選ぼう。ジャンケンみたいでカンタンでしょ。敵をたおすとアイテムゲットだ。このキャラがほしい? ならガチャをしろ。でるまで回せ。描いたらでるぞ。なにもかんがえるな。しんじて回せ。
ストーリー? もちろん重視してるよ。このゲームとか、このマンガのストーリーすごくいいよ。ゲームはユーチューブで、マンガは漫画村でよんだんだ。アップロードしてくれたひとたちに感謝だね! すごくキャラがいいんだ。どんなストーリーかって? せってい? せかいかん? ごめん、あんまりよくおぼえてない。このストーリーのどこがいいのかってきかれても……うーん、ふんいきがいいんだよ。ことばにはできない。そう、ふんいき。
────こんなバカばっかりじゃないって?
そうかもしれないですね。
でもひとつは、まちがいないようにおもえる。現代のコンテンツやサービスのおおくは、「あること」を最重要視してつくられている。そのあることとは、
「読み手の脳の負担をへらすこと」
そんなことはない? いや、そんなことはある。
「直感でさけられる」ということ
人間のアタマの処理には、2種類ある。
「直感」と「論理」だ。
人間の判断は、人間がおもっている以上に「直感」によるところがおおきい。ふくすうの選択肢があっても、直感で大部分をまずシャットアウトする。そこから論理的にかんがえて、さいしゅう的な判断をくだす。
コンテンツやサービスは、まずここをクリアしなければいけない。
直感でユーザーにさけられる────
これをなんとしてもさけなければいけない。でなければ、「さわってもらう」という、最低限のことすらしてもらえないわけです。コンテンツやサービスが、生まれるまえから死んでしまっている。そんなかなしい状態です。
負担をへらす努力のスパイラル
企業のアタマのイイひとたちは、いつも一生懸命かんがえてます。
「いかにバカなユーザーにも、さわってもらえるか」ということを。
言いかたはキツいですが、ほんとうでしょう。ほんのちょっとのストレスにもたえられない。たえる必要もない。なるべくカンタンなものがいい。あたりまえだ。カンタンにできることを、わざわざむつかしくするなんて、それこそバカの所業だ。
さわってもらうには、直感でうけいれてもらう必要がある。論理はいらない。むつかしいのは害悪だ。カンタンなUI、カンタンな操作、カンタンなことば、カンタンなつながり。
どんどんどんどん、カンタンになっていく。
日記をかくSNS。いや、長文ってよむのもかくのもタイヘンだよね。じゃあ140文字しかかけないSNSなんてどうだろう! いや、140文字でもタイヘンか。いっそ写真をメインに……あっ、そうだ。動画メインのSNSってよくない?
────そこからさきは、どうなっちゃうんでしょうかね。
言葉はアイコン化して短縮。パーソナライズで検索不要。ニュースやトレンドはわれわれにおまかせあれ。ユーザーはなにもしないでいい。脳ミソをつかわないでいい。ただよだれを垂らしながら、ぼーっとモニターをながめていればいい。
おまえなんかいなくても、世界はかってに回っていく。
「それでいいのか」
創作が「難解」である必要なんて、まったくないとおもいます。
平安時代の物語を、古語でかたられても意味パープーですし。ドグラ・マグラなんてだれも理解できないですし、理解しようとしちゃいけない。
子ども時代、「ズッコケ三人組」とか「エルマーのぼうけん」とか、子どもむけに平易にかかれた物語をたのしみました。あれがむつかしい漢字だらけだったら、ぜんぜんたのしめなかったとおもう。
わかりやすくすることは、とてもたいせつなことです。
わるいことでは決してない。むしろ善行でしょう。だれしもが理解できるように、平易なものをつくる。「難解さ」でくるしむことなく、たのしめるようにする。
でもそれだけでいいのか。
カンタンにすればするほど、情報量はそがれていきます。正確につたえることもむつかしくなる。えられるものも少なくなる。
人間はどんどん、論理的な思考をうしなっていくだろう。
負担をへらして、伝える
とはいえ、論理的な思考がどうとかいっても────
大切なだれかに伝えたいことがあるなら、やっぱりカンタンにしないといけない。
「まずあなたのビジュアルが好みですスラッとしていて眉毛が整っていて美人だとおもうし料理がとくいでいい奥さんになるとおもうし趣味があってるし子どもにやさしいのも好感触で仕事もしてるから共働きで家計を安泰だろうしお父さんお母さんも人柄よさそうで土地持ちで将来も安心だから、好きです」
これが仮に本心だったとしても、たぶんダメですよね。
「あなたのことが好きです」
これくらいカンタンなほうが、伝わるんじゃないですかね。言葉なんかいらなくて、互いにすごした背景だけがそこにあって、まどろっこしいことは抜きなほうが。
創作も、そうなのかもしれない。
エゴ
「わたしは伝えることが苦手だから、むつかしくても、あなたに理解してほしい」
こんなの、クソのつくエゴですよね。自己中心的のきわみ。
創作やってると、こういうエゴをいだきやすいです。「なんで理解してくれないんだ!」ってムシャクシャして、かなしくなる。だから相手を「バカ」だときめつけて、自分はわるくないとかんがえる。
歩み寄るべきは、こちらがわなのに。
まとめ
伝えたいことを削ぎおとすのは、なかなかにつらいことです。
想いがつよいほど、つらい。
でも想いがつよいものほど、そのまま伝えても、伝わらない。
もどかしいです。カンタンにしなければいけない。わかりやすくしなければいけない。直感にうったえなければいけない。カンタンってなんだ。ほんとうはすごくむつかしいじゃないか。うそつきめ。
「伝えたいことをわかりやすくする」
そのことについて、すこし考えてみたはなしでした。