ある編集者が、「大衆は愚かではない」といっていました。
「売れる本はいい本だ。大衆の欲求をみたすことがイチバン大事。大衆が愚かなのではなく、大衆を満たせない者が愚かなのだ」と。
一理あるとおもいました。
どうじに、「だから大衆は愚かなんだな」とおもいました。
三大欲求なら睡眠欲・食欲・性欲。あとつよいのは、金欲・権勢欲・承認欲でしょうか。他人の不幸や、炎上事件への欲求もつよそうですね。────その編集者がつくっている本は、まさにそんな感じの本ばかりでした。じっさいよく売れてます。
子どもが「お菓子ほしい!」っていったらお菓子たくさんあげて、「オモチャほしい!」っていったらオモチャたくさんあげて、よろこばれるのがうれしい。少なくともその編集者はそうなんでしょう。
「バカ親」だとおもいました。
ただ、世の中そういう原理で動いてるのは、事実です。
「低俗な欲望」と「高尚な欲望」の区別なんてない。欲望は欲望。とにかく欲望をみたすことが大事。えっちぃ本をたくさんつくって、バイオレンスな本をたくさんつくって、笑える本をたくさんつくるのが、善なのだと。
で、大衆はいま、満たされてるんでしょうか。
あらゆる娯楽が、大衆をがんばって満たそうとしている。お菓子やオモチャをばんばんくれてやって、性と暴力と笑いでいっぱいにしている。それで────大衆はいま、満たされているんでしょうか。
欲望は、満たせば満たすほど、キャパがふえます。
クスリをキメたアホが、だんだんその分量じゃ満足できなくなっていくのと同じです。人間は満たされれば満たされるほど、満たされなくなっていく。
その編集者の美徳、まさに「悪魔」だなとおもいました。
「何のためにどの欲望をみたすのか」が、個人的には大事だとおもうんですが、その編集者はまったく区別していない。「強い欲望」にしか目をむけていない。よっぽど腹がへっている悪魔なんでしょう。
ただ、嘆いたところで、どうしようもない。
大衆はより手軽で強い刺激をもとめてる。大衆を満たさなければ数字を得られない。数字を得られなければ自分の腹がみたされない。
「大衆は愚かではない」「売れる本がいい本だ」────たんなる認知的不協和の解消のための思考法ですが、発信する側としては、強い考え方だとおもいました。
売れるものをつくりたい。そう願わない発信者はいない。
ただ願わくば、欲望と未来のバランスをとりたいです。これは傲慢でしょうか。