創作の「過程」が好きで「結果」になると興味がぐっと下がる

 

なんで創作しているかって、「過程(プロセス)」が好きなんですよね。


モノができていく過程、(ほぼ)無から有を創り出す流れが、面白いと感じる。「結果」にも興味はあるけれど、過程に対するものよりはグッと下がる。


自分はあんまり自作品の宣伝とかはしないタイプです。これは「宣伝とかちょっと恥ずかしいなぁ……」ってのもあるんですが、単純に自分が興味をなくしているのが大きいです。


以下、思考の整理がてらつらつら書いていきます。

 

他人の創作物にあまり興味がない

 

自分は「創作物が好きだから」という理由で創作をやっているわけではないです。


創作物じゃなくて、創作が好きなんです。


だから他人の創作物にはほとんど興味がありません。たまに「勉強」で見て回るくらい。好んで見ようとはなかなか思わない。


二次創作とか、偉人モノ、異世界転生的な設定流用モノなどは、特に興味がない。

 

 

「読者のために書く」は、半分ホントウで半分ウソ

 

  1. 「世の中クソみたいなシナリオばっかりだから、自分で面白いもの書こう」
  2. 「読者さんに喜ばれるのは楽しいな! 読者さんのためにも書こう」
  3. 「いや待て……こんなビジュアルだけのクソソシャゲ群を楽しんでるような読者層に、作品の良し悪しなんてわかるのか……?」
  4. 「おもしろいって何だ。つまらないって何だ」

 

↑のように、自分が創作を始めた動機は、「世の中クソみたいなシナリオばっかりだから」っていう、わりと独善的かつ好戦的なものでした。


だけど、処女作『クロノウサギ』が老舗フリゲサイトで優秀賞もらったり、次作『キミはキメラR』が30万DLされたり金賞もらったりしているうちに、「読者さんに喜ばれる(認められる)のは楽しいな!」っていう考えも芽吹いた。


そして同時に、「強い矛盾」を感じた。


「自分のために書く」のか、「他人のために書く」のか──よくわからなくなった。


また読者さんは、他のさまざまな作品群をザッピングしているわけです。


そのなかには、自分が忌み嫌う「世の中のクソみたいなシナリオ」の代表格であるクソソシャゲ群もある。


こういうクソシナリオを面白いと感じる人々に、自分のシナリオを面白いと感じられたのは、どうなんだ……?


↑のように、思考がドン詰まった。

 

 

「自分のために作るのが一番無難なんじゃないか?」

 

「誰かのために作る」だと、矛盾が生まれやすいのでは。


他人って、無限に居ます。


でも自分って、確実に一人です。


「自分のために作る」であれば、対象者(ペルソナ)が確実に一人なので、創作プロセスにおける思考の矛盾も生じにくいのでは。


「他人のため」って言葉、耳障りはとてもいいですけど、結局それも「自分のため」に内包されている言葉です。他人の満足が、自分の満足になるわけですから。


そしてなにより作り手は、「自分こそが面白いものをわかっているんだ!」という自負を持っているはずだし、それを信じてやらないでどうするんだと思った。

 

 

自分の場合は、それが「過程」

 

「自分のために作る」といっても、ヒトそれぞれあると思います。


自分の場合は、それが「過程(プロセス)」なのかなと。


自分のために────創作の過程を楽しむために、創作をする。

 

 

まとめ

 


創作なんて端から自己満足の行為でしょ?

 


そんな単純な話だったら、誰も悩んでねーよ

 

自分の好きなことはなんだ、やりたいことはなんだと、改めて考えてみた話でした。


めぐり巡って、初心に戻る。そういう繰り返しなんすかね。


今回は以上です。良き創作エンジョイライフを────ではまたφ(・ω・ )

 

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