「ストーリーは死んだ」というなら、書き手はどうすればいい

 

最近、創作活動の今後についてめちゃくちゃ悩んでます。


個人創作自体がもう血の海で厳しいんじゃないか」という記事を前に書きましたが、もう本当に厳しくなっていると思います。


あとこれはあんまり認めたくないんですけど、「ストーリー」そのものが、もはや若者の間であまり重要視されていない。「キャラ」がまずあって、「ビジュアル」と「声」と「設定」さえ一致していれば、ストーリーの書き手が誰であろうとそんなに気にしてない。これは現在のソシャゲの潮流で言えると思います(ソシャゲのほとんどは多数のライターによって書かれている)。


一作品あたりの書き手の人数はともかく、「ストーリー」がもはや「キャラ」の「記号の一部」として捉えられているのだとしたら────「ストーリーは死んだ」と言ってもいい。前そんな記事が増田(匿名のはてなブログ)でバズって炎上してましたけど、正直「一理ある」と思って読んでました。

 

「ストーリーが死んだ」というより────

 

ソシャゲは「流行の勉強」のために、有名どころをいくつかプレイしました。


月並みですが、「面白いシナリオ」もあれば「つまらないシナリオ」もありました。つまるところ、「アタリのライター」と「ハズレのライター」に当たったかどうか。各話、明らかにクオリティが異なる。時に見るに堪えない「納期のためにヤケクソで酒飲みながら書き殴ったシナリオ」としか思えないものもありました。ただ結局────誰が書いたものなのかはわからない。そしてぐだぐだ文句を言いつつも、キャラクターと世界観を「人質」にとられたユーザーは、しぶしぶそのストーリー群を楽しんでる。


「ストーリーは死んだ」という言葉、じつは自分は違う言葉で考えてます。


ストーリー書きの〝人格〟が死んだ


↑は別に、「ストーリー書きは人格オワってるヤツが多い」とかそういう話ではなく(これも一理あるとは思いますが)、「流行への迎合を強いられる」ことや「ストーリーよりキャラクターと世界観重視」であることがあまりに増えた結果、「ストーリー書きの人格そのものがもはや意味を成していない」という話です。


つまり、ストーリーそのものが死んだのではなく、ストーリーを書く側が死んだ。

 

 

自分もストーリーを楽しむ機会が減った

 

今の世の中、娯楽で溢れかえってます。


あまりに供給過多で、選択するのもメンドウクサイ。だから流行してるものをとりあえず触る。口コミ重視。「自分の感覚」でモノを選ぶことが減った。モノに対する評価も、他人に任せることが多い。周りがソレを面白いと言って騒いでいれば、「まぁ……そうなのかな」と本心を封殺してなんとなく楽しんでいるフリを続ける。────ってのは割とよくある流れだと思います。仮に本人がそれを認めたくなくても。


ストーリーも、供給過多です。


そしてストーリーの基本は「起承転結」「三幕構成」「シンデレラ曲線」などなどなど────ある程度「型」が決まってるわけです。基本的にみんなその「型」を意識して書いてますから、自然、「似たり寄ったりのストーリー展開」が増えてくる。


そういう似たり寄ったりのストーリー展開を、「お約束」や「王道」として楽しめる人間も多くいますが、単純に「もうそれ見た……」と空虚感を覚える人間も少なからずいる。


そこでキャラクター」や「世界観」で、ストーリーを差別化する


基本となる執筆法が同じなため(あるいは人間の根源的な感情が同じなため)、どうしても似たり寄ったりになってしまうストーリーを、キャラクターと世界観で彩って、より複雑なモノに見せかけるわけです。人間社会とある意味同じ。


だからこそストーリーの優先度が薄れ、キャラクターと世界観の優先度が増している。ユーザーたちは「供給過多のストーリー」を浴び続けた結果、耐性ができて、その優先度の低さに────むしろキャラクターと世界観が「本体」であることに薄々気がついてしまった。

 

 

書き手が時代に順応するには

 

似たり寄ったりのストーリーを、長々と書き殴っても、読者はあまり喜ばない。


多くの読者は、キャラクターと世界観を見たがっている


これはもう逃れようのない潮流です。書き手は順応しないといけない。ただそこで生じるのが、「ストーリーの書き手は誰でもいい」ということ。少なくともほとんどの読者にとっては。(あるいは誰が書いたのか見分けがつかない)


ただ、書き手が誰でもいいんだったら、別に自分で書かなくてもいいじゃねーかと思っちゃいますけどね。キャラクターと世界観だけ作ってしまえば、あとは他人に書かせようがみんな喜ぶと。


「自分である必要がない」なんてのは、もはや「順応」という言葉すら怪しい気はする。

 

 

おわりに

 

自分にしか出来ないことを、誰だって探してると思います。


ただ意外と、そういう事柄ってのは少ない。


個性を尖らせたところで、興味を持ってもらえるとも限らない。そしてそれが本当に個性的であるとも限らない。


────以上のように、うだうだと創作について考えている今日この頃でした。答えはもう見えてるけど、なかなか認めたくない感じですね。


今回は以上です。人生に良きストーリーを────ではまたφ(・ω・ )

 

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