創作よりブログのほうがマシにおもえる虚しさ

 

自分は、創作がすきです。


なのに最近、まったく創作に打ちこめていない。むしろ今はブログに打ちこんでます


サウンドノベルを連載してますけど、見てくれてるのは数十人くらいですね。電子書籍のほうは、もはやグラフがまったく動かず。


対するブログは、月2万人もみてくれてます。こんな、雑記ブログでも。


創作は、書いても描いても成果がでない。Twitterでイラスト載せつづければ、たしかにフォロワー数はふえますけど、「無料でイラスト見たいヒト」がふえたところで、お飾りにしかなりません。


本当に見てもらいたいのは、「ストーリー」のほう。


「かわいい」とか「雰囲気がいい」とか「デザインがいい」とか「エッッッッッ」とか、そんなのはクソどうでもいい。ビジュアルとかいうストーリーのオマケが、大多数の読者にとって「主役」────その事実がものすごくむなしい。


書いても描いても「見てもらえない」。人数という意味でも、本質という意味でも。

 

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「ブログはPDCAが回しやすい」

 

ブログは、評価がわかりやすいです。


Googleのアルゴリズムで、瞬時に「記事の評価」がされます。通知すれば一瞬でインデックスされる。検索流入があって、滞在時間などからさらに詳細な評価がされる。じつにわかりやすい。「機械的」かつ「合理的」で、明確な評価基準です。


評価がわかりやすいから、PDCAも回しやすい。一記事3時間で書けますし。失敗したとおもったら、すぐ切り替えればいい。PlanしてDoしてCheckしてActionして、どんどんぶん回せる。




創作は、評価が曖昧です。


創作物を「なぜ面白いとおもったのか」、言葉にできるヒトがまずすくない。「なんとなく感動」「なんとなくカワイイ」「エッッッッッ」、その程度です。AI以下


その程度の、「感想にもなってない感想」から、創作する側はなにを感じとればいいのか。どういうインスピレーションにつながるのか。


ハッキリいって、みんなストーリーなんてほとんど見てない


パッと見でほぼ全てが判断される。ストーリーなんて関係ない。長文を読解できる人間が、そもそも絶滅危惧種なんだから。

 

 

「創作は受動的、ブログは能動的」

 

ブログは「需要」がハッキリしてます。


なぜって、読者が読みたいものを「検索」してやってくるから。ブログは読者が能動的なんです。「知識を得たい」というモチベーションがそもそも違う。



一方、創作は読者が受動的です。


みんながおもしろいって言ってるからボクもやる~~」────9割以上こんなんです。自分から探しにいってるわけじゃない。


創作物は勝手にあつまってくる。SNSのタイムラインでどんどんながれてる。広告もばんばん流れてる。垂れながしだ。興味のあるもの、ないもの、ごっちゃだ。


創作の読者は、もはや自分で探すことをしない。

 

 

「ドロドロした失望感がぬぐっても落ちない」

 

中には、リスペクトできるヒトもいます。


でも大多数は、そうじゃない。


「読者をリスペクト」しようと、必死に考えてきました。でも、活動をはじめて10年────めぐりめぐって、「心の底からはリスペクトできない」という結論に至りつつある。そしてその評価は、きっと自分にも跳ねかえってくる。


作品を読んでもらえたら、うれしいです。感謝します。でも、リスペクトできない。


なぜって、シンプルです。「読者に生かされていないから」。


読者さんのおかげで、生活できてないです。『キミはキメラR』という作品が、GooglePlayで30万DLもされました。「感動しました!」「ありがとうございます!」、たくさんのヒトに感謝されました。でも生活できてないです。


ほとんどなにも、もらっていない。


助けてくれない相手を、どうリスペクトしろっていうんですかね。このまま無償の愛で、無償奉仕にちかいことをつづけろっていうんでしょうか。それ奴隷では。


同じ奴隷でも、Googleの奴隷のほうが、まだ生きられるかもしれない。

 

 

「自分が創作したいだけ」

 

こんなやつらのために創作したくない


そのおもいが、どんどん膨らんでしまう。


だから「自分が創りたいもの」をつくろうとする。やさしい読者も「あなたが創りたいものを創るべきだよ!」と後押ししてくれる。


でも結局、ロクに読まれやしない。拡散もしてくれない。


「自分が創りたいもの」にこだわればこだわるほど、読まれない。なぜって、いまの自分の好みが、他人とはかけ離れているから。


「こんなやつらのために創作したくない」という想いのせいで、本来自分が好きだったモノさえも、見失っている。人外少女とのイチャラブ、好きですよ。性的だったり、カワイイばっかりの物語、好きですよ。でもそれを好きな他のたくさんのヒトたちを好きじゃない。矛盾してますかね。


自分のために書こうとして、自分のために書けなくなっている


思えばあまりにもくだらない。

 

 

まとめ 「盲目」

 

おもしろい作品、世の中にたくさんあります。


さっきAmazonプライムビデオでみた、「Chef(邦題:シェフ 三つ星フードトラック始めました)」、邦題と日本語字幕はクソだけど、内容はほんとうによかった。街の風景がたのしい、下ネタまじりの軽快なトークがたのしい、お堅いオーナーには自分事のようにイライラしたし、シェフのこだわりには共感、SNSの炎上も現代チックでおもしろいし、陽気な相棒はたのもしい、父子の距離が縮まったのはめちゃくちゃうれしい、旅のおわりのさびしさ、そして────。怒って笑って泣いて、これが創作ですわ。感情がうごかされ、ほんとうに満たされた2時間だった。


創作って、すばらしい。心の底からそうおもえた。




ただ結局、おもうことがある。


いくらおもしろい創作ができたところで、たくさんのヒトに喜ばれたところで、生活できなければ継続できない。30万人のホームレスに無料でダウンロードされたって、成果につながらなければ、なんの意味もない。「なんでもタダで手にはいる」とおもうバカが増えるだけだ。


創作を、うまくお金に換えられない。


自分だけじゃない。できる人間はあまりにすくない。そもそも創作が、「まともな仕事」として日本で成りたっていない。「貧すれば鈍する」。安定した創作環境がなければ、真摯に創作とも向きあえなくなる。盲目になっていく。


創作で生きたい。ただそれだけのことが、ほんとうにむずかしい。

 

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