個人創作自体がもう血の海で厳しいんじゃないか

 

個人創作は、今までのやり方ではもういかない

常にそのことを考え続けていて、もやもやしたので整理がてらつらつら書いてみます。

 

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出版業界は何の救いにもならない

 

日本の出版業界の凋落っぷりは言わずもがな。

出版業界にはもう、良心もなければ熱意もない。魂を賭けるほどの価値がない。作り手は怠惰な老害を生き残らせるための養分じゃない。沈むなら勝手に沈め。軽減税率だかなんだか知らないが、表現の自由を巻き込むな。

ただその凋落のおかげで──「個人創作」について考えられると。

 

 

増える「創作したいヒト」  減る「創作見たいヒト」

 

「創作をしたいヒト」は増え続けている。

じゃあ「創作を見たいヒト」はどうかって、相対的に減り続けていると思われます。創作をしたいヒトの増加傾向に追いついていない。

「誰でも創作ができる・発信ができる環境」が整った今、創作者・発信者が増えすぎて、「情報過多」に陥ってる。つまるところレッドオーシャン。

そのうえ主要端末は、パソコンからスマホに移った。スマホは「長文を読む」ことにはそれなりに順応しているけれど、「長文を書く」ことには長けていない。ユーザー同士が長文でやりとりすることは少なくなった。自然、長文は求められなくなり、むしろ疎んじられるようになった。「長文乙」「長文キモ」

 

 

創作とストレス

 

情報過多と、長文敬遠。主にこの二つで、「いま好まれる創作物の趣向」がほぼ決まってしまったように思えます。

最たる例が、マンガと動画。

マンガと動画は、比較的疲労感を伴いにくいジャンルです(受け手にとっては)。マンガはビジュアルとテキストが上手いこと配置されていて、するっと頭に入ってくる。動画はオマケに音楽までついてて、脳ミソを一切使わないでも楽しめる(実際は脳のいろんな箇所が刺激されているからこそ楽しいわけだけど。読解力や想像力はほとんど必要としない)。

多くの読み手は、創作物にストレスを求めなくなった。(多くのゲーマーもしかり)

これが個人創作にどう繋がるかって、「一次創作」と「二次創作」の違いで言える。

 

 

一次創作はストレスを強いる

 

完全にオリジナルの一次創作は、読者に事前知識がないため、多くのストレスを強いることになる。設定や世界観の習得に終始するため、脳ミソフル回転。

一方二次創作は、「すでに知っている」知識ばかりだから、省ストレス。「小説家になろう」の異世界転生も、早い話が二次創作系で、同じ設定を使い回すことで読者のストレスを軽減している上手い仕組みだ。また「擬人化」や「偉人モノ」も、事前知識の軽減という意味でそれに当たる。

個人には、一次創作を広く伝えるだけのリソースがない。

だからいわゆる「バズ」で個人創作は流行る。だけど、自然発生的にバズなんてものは起きないし、それが起こるのは本当に限られた逸品だけ(あるいはウラで仕掛け人の企業が動いてる)。

 

 

創作者より紹介者のほうが成功してる

 

創作するのはタイヘンですが、創作を紹介するのは比較的カンタンです。

TwitterやブログやYouTube、そういうプラットフォームで創作物を紹介する、あるいは消費している姿をただ見せる。それ自体がコンテンツになって、むしろ創作者より成功する。

創作者にとって馬鹿馬鹿しいことでも、それが今の現実だから仕方ない。

 

 

まとめ

 


じゃあ個人創作やめるの?


続行に決まってんだろすっ飛ばすぞ

 

手を動かしながら、いろいろ考えてます。

どうすれば個人創作が、ただ消費されるだけじゃなく、今の時代に順応できるのか。時間はかかりそうですが、いずれカタチにしたいなと。

今回は以上です。良き創作エンジョイライフを────ではまたφ(・ω・ )

 

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