「編集者不要論」────たびたびTwitterで話題になります。
「編集者って、もういらなくね?」という話です。
ネット時代、個人で活躍するヒトがふえました。編集者の悪評も尽きません。編集者という存在そのものが、疑問視されている。
「編集者は必要だ!」と主張するヒトもいる。クオリティの担保とか、商業の窓口として。そして肯定意見と否定意見がいり乱れて、ウヤムヤなまま議論がおわる。その繰りかえし。
ただ────じつはもう、みんな「結論」に気づいています。肯定してる側も、否定してる側も。気づいてるからこそ、何度も議論が再燃して、ウヤムヤにおわる。
「どうでもいい」
「どうでもいい」んですよ。
編集者が必要だとか、不要だとか、「当事者以外」には。
出版不況? 作家がイジメられてる? 編集者が役立たず? 編集者がサイコパス? いやいや、編集者は必要な存在なんだよ? ────どうでもいい。
「読者」には、まったく関係のない話です。
大多数の読者は、作品にしか興味がない。作者がどんなに苦しもうが、編集者がどんなにクズだろうが、出版業界がオワコンだろうが、漫画村が違法だろうが、正直どうでもいい。対岸の火事です。
「出版業界がタイヘンなんです! たすけてください!」────誰かたすけてくれましたか? ただ「タイヘンなんだねぇ……。かわいそうだねぇ……」って頷いてるだけですよね。
出版業界がなくても、みんなネットで楽しめてる。意識しなくてもいい、居なくてもいい存在。編集者不要論だって、当事者たちが騒ぎたてて、声がおおきいように見えるだけ。
ほとんどのユーザーは、「どうでもいい」とおもってる。
「自分たちしか見てねぇじゃん」
- 「表現の自由うります」
- 「通信の秘密を侵害したいです」
- 「検閲社会にしたいです」
- 「電子より紙で買ってほしいです」
↑ これ、ギャグじゃないです。残念ながら、日本の出版業界がほんとうに主張していることです。
軽減税率ほしさに、「表現の自主規制しますから!」と国にすり寄った。「検閲」という言論統制を、出版業界みずからが復活させようとした。海外サイトのブロッキングも行いたいと言った。両方もちろん憲法違反です。
貧すれば鈍するどころの話じゃない。出版業界はじぶん可愛さに、国民から「表現の自由」と「通信の秘密」という権利を奪おうとした。
出版業界は、自分たちしか見ていない。
こんなフザけた業界を、当事者以外でだれが助けたいとおもうんですかね。創作物を人質にとりますか? 「テメェらこのマンガのつづき読みたいなら、だまってお布施してろ」と。────漫画村で満足してるユーザーが、優しくたすけてくれますか?
出版業界って、ロクでもないことしてるくせに、他人の善意に期待しすぎでは。
「いてもいなくてもよくね」
「編集者が必要じゃない状況」、確実にふえてます。
「YouTube」「ブログ」「WEB創作」────編集者、いてもいなくてもいいです。優秀なネットサービスのおかげで、十分ユーザーは楽しめてる。「個人規模」なら、編集者はただのジャマです。利益が中抜きされるし、意志決定に時間がかかる。
クオリティの担保には編集者が必要? いやいや、それはもはや「一部」の話です。編集者をかいさずに活躍している個人メディアなんて、腐るほどある。編集者がいてもショボいクオリティになることだって、いわずもがな。
ただもちろん、「編集者が必要な状況」もある。
紙書籍で商業出版したいなら、編集者がいないと、出版社と交渉できません。印刷会社、書店、取次、その他もろもろ────編集者がいないと、スケジューリングできません。
商業出版には、編集者が必要です。だってそういう業界体制だから。ただそれだけの存在。他になにか意味がありますか。
商業ベースでなければ、編集者なんて不要です。
「編集者いらない場面ふえてるよね?」っていう、ごくごくシンプルな感想を、「いやいや編集者は必要だよ!」って、一部がごちゃごちゃわめいているだけ。ただの「みんなの感想」を、「不要論」とかレッテル貼って、ジャマしようとしてるだけ。
そしてもう、レッテル貼りで収まる話じゃない。
「というか、イイ編集者ってなに?」
編集者不要論うんぬんで、必ず、ある擁護がでてきます。
「中にはイイ編集者もいるよ!」
これなんの意味があるんですかね。世界を呪った悪役に、「人類にはまだ希望があるはずだ!」って、説教たれる主人公みたいな感じでしょうか。
イイ編集者、どこにいるんですか。屏風からだしてください。
というか、「イイ編集者」ってなんですか。打ち合わせでお土産くれる編集者ですか。売れなくても次があるさって励ましてくれる編集者ですか。それただちょっと気配りができるだけの普通の人間ですよね。
「イイ編集者」って、利益をだせる編集者じゃないんですか。作家を食えるようにして、読者をたのしませる、そういう編集者じゃないんですか。だとしたら出版業界にはイイ編集者なんてぜんぜんいませんよね。いたらこんな凋落してないはずだ。
人情がなく、悪評がこと欠かない、利益もだせない────そんな編集者たちを、ゴマすり以外でだれが擁護するんですか。
「中にはイイ編集者もいるよ」。そうなんでしょうね。
まとめ 「変わるだけ」
編集者は、今後も残りつづける職業だとおもいます。
いらない場面がふえてるだけで、いる場面は必ずある。ただそれだけの話では。
擁護されにくい存在なのは当たりまえ。作家側の恨みを買いすぎてる。出版業界ももうボロボロ。人情という意味でも、金目という意味でも、魅力をかんじることが難しい。かつて切り捨ててきた作家たちのように、いま自分たちが切り捨てられているだけ。
編集者を必要としない個人がふえている。イイコトじゃないですか。編集者のヒトたちは、「不要論」なんてクソどうでもいいレッテルはってないで、素直に「自立」をよろこんでくださいよ。
こんな議論は、なんの意味もない。
業界の「内側」で小競り合いしているうちに、ユーザーの興味はどんどんそれていく。当事者以外には、どうでもいいんです。我々が、あなたたちが、どうなろうと、どうでもいい。
出版業界の「一番の敵」は誰ですか。
海賊版サイトですか、表現への圧力ですか、編集者不要論ですか。いや、ちがうでしょう。「興味をなくされていること」なんじゃないんですか。
不要ではなく、不毛。
自分をふくめて、「先にやることがあるだろ」とおもいました。