シナリオ作業は地味で、忍耐がいるし、案外報われない【雑記】

執筆は、うんざりするほど地味な作業だ。

イラストとかシステムとかと違って、途中でお披露目できるものが何もない。大きなネタバレは内容に直結するし、途中の1シーン晒したって「はっ?」って感じだ。

忍耐が作業。しかもその忍耐が半年や一年のレベルだからうんざりする。よくシリーズ物のゲームとかで「続きまだー?」って思うけど、「こっちの苦労も知らないで! ○ね!!」ってみんな思ってることだろう。

そして長期的な忍耐に限って、案外報われない。

 

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確実に報われることがあるとすれば、「経験値」だけど…………「今回がダメでも次がんばるよ!」って簡単に思えないくらいの労力がいるわけだ。むしろネタが枯渇していく一方かもしれない。

「これが転けたら相当凹むだろうな」ってくらいの覚悟じゃないと、いざって時に全部投げ出すことになる。カンタンに割り切れるもんじゃない。

色んな「よくない事態」を想像しながら作ってる。

それくらいの慎重さが無いと、やってらんないと思う。でも「次で頑張るし(震え声)」みたいなガッツもないと、やってらんない。結局は根性だ、執筆は。理屈じゃない。

誰かの声に慰められたりとか、そういうことはほとんど無い。ファンを囲って囲われて、信者集めて崇めてもらって、慣れて馴れ合って慣習化。そういうことが大して面白いとは思えない。

仲間内同士で傷舐め合ってるのも、なんかな。身内でマッタリってのも成長性を感じられない。ましてやそれが狭い世界での出来事なら、虚しさに耐えられない。

それなら自分で傷を舐めて、励まして、最後の最後も自己満足と自己陶酔────一人でいる虚しさのほうが気楽だと言い聞かせる。他者に向けたものを作っていながら、そういう自分中心主義で完結しようとする。こっちのほうが虚しいか。

虚しいけど、やめる気はゼロだ。

創作って病気か狂気だと思う。ただ自分くらいのは、修羅場でも何でもないぬるま湯。これで極貧だったらさすがに詰んでるわ。ある程度金があるからこそ、創作っていう沼に沈んでいられる。贅沢な「仕事」だ。

たまに思うのは、もし創作以外の道に進んでいたとしたら────ということ。

ただこれは、無意味なことだ。「もしあの時ああだったら」みたいなのは、生産性のカケラも無い。なんの慰めにもならない。

見たもの感じたものが、たとえ数瞬でも「後」に脳で処理されるなら、人間には「未来」しか存在しない。中学生の時に、学校の先生に聞いた話。

 

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