何をしても楽しくない時に好きなことをするということ【雑記】

何も楽しくない時は、たびたびある。

大抵は心がすさんでいたり、身体が疲れている時。べつに「楽しみ方を忘れた」とかではと個人的にはおもってる。

ゲームとか小説とかは、「作り手の立場」でみるようになっちゃったから、またべつの意味で単純には楽しめなくなったけど。

「楽しめないならもうやらないほうがいい」とは、思わない。

自分は、「文章書くこと」をこの世の何よりも好きで愛してるけど、時期によっては相当なストレスとコンプレックスになる。

だから────「憎愛」みたいな表裏一体で考えてる。

好きだからこそ辛い時があるし、空虚感が生まれることもある。それで完全に拒絶してしまったら、もうその先にある楽しみを得られなくなってしまう。

そう思って、しがみつくように文章を書き続けてる。もう単純に「すきー。ちょうすきー。ちゅっちゅー」って風にはいられない感じ。

「かるい趣味」程度にやってる人には、そんな向きあいかた辛いだけだろうし、どうなんだろうな。あきらかに心を病むし。

「楽しみ方は人それぞれ」って言葉があるけど、わりと真にせまってるような気がした。

なにも考えずに楽しめることがあるなら、それはけっこううらやましい。

自分はへそまがりな性格なので、「どうして楽しいんだろう」とか「どうやったらもっと楽しくなるんだろう」とか「なんでつまらないんだろう」とか考えてしまって、すなおに楽しめない。

ただ、「好き」とか「楽しい」ってそんな軽いものじゃないとおもうし、それが簡単にわかるんだったら世の中みんなハッピーすぎて、アッパー系のドラッグでもやってんのかっておもう。

好きであり続けるにもエネルギーがいるし、どれだけの覚悟を持ってそれが好きなのか。

そんなカタックルシイ覚悟を持ってなくても楽しんでる人はいるけど、その楽しみって、だいたい「一過性」なんじゃないか。

ながくそれに接していれば、飽きもあるし、たいへんな部分もみえてくるし、よくわかんない壁にも時々ぶち当たる。

でも、その先にある快感を期待するから、なかなかやめられないって感じで。

 

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