ブログやtwitterで丁寧語を使うべきか

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twitterの使い道が間違ってるんじゃないかと思い始めている今日この頃。どうも色々な方向を煽ってしまう。あとギリギリのラインで喋りすぎな気がする。


薄々は感じてた。俺twitter向いてないかも。


ああいうツールは、「twitterって何するツールなんだろう」みたいなことを考えてしまう人間には向かないんだろうと解釈した。一生クソの役にも立たない呟きを垂れ流して、みんなでわいわい馴れ合って、気に入らなければ@無しで悪口言ってリムブロ。そんな印象。


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タイムラインをジッと見てしまうようなタイプにも向かないんだろうな。ジッと見てる割に、有用な情報はそれほど無く。かと言って自分が有用な呟きをしてるなんて思わない。クソの垂れ流しだ。だから尚更、「これ、やる意味ある?」とハテナが浮かんだ。


何年か前に最初にアカウントつくって、なんか性に合わないなと思って年単位で放置してて、「ネットで引き籠もってたらアカン」と思って再び始めたけど、なんか性に合わないなとまた思い始めている。


ブログで雑記を書いているのは、モチベの維持と文章修行のため。これは目的がハッキリしている。でもtwitterの目的が自分の中でハッキリしない。自分は世の中の八割以上の人間が気に入らないっつう社会不適合者だから、あのタイムラインの流れはただただ疲れる。


匿名掲示板ほどの質の悪さではないにしろ、それは暴力的な言葉が少ないというだけで、軽薄さと陰湿さはあまり変わらない。これじゃあ一生煽ってしまいそうで、敵ばかり作りそうだ。一体何と戦ってんだと虚無感にも陥る。


無意味なところで嫌いになったり嫌いになられたりするのは別に良しとしていない。ブログなら、「見ない」っていう選択肢が気軽にある。こんな垂れ流しの文章、サイトにさえ来なければ見ずに済むわけだ。でもtwitterとかは違う。気軽にフォローしたが最後、リムブロミュートするまで、思想の違う相手の呟きでイライラし続けなければいけない。嫌がってる相手を「おらおらどうした」ってイライラさせ続けるのは本望じゃない。


twitterは、失いたくないものを秘匿してひたすら毒を吐き散らしている人間とか、当たり障りの無いよう演じている人間の馴れ合いの場としては優秀だと思う。ただ優秀な「コミュニケーションツール」だとは思えなかった。思えなかったからこそ、俺みたいな人間には向いていない。


情報の発信の場として便利なのかなと思ったけど、よく考えたら俺、今別に発信したいことないし。芸能人でもないし。人気取りの行動とかあんま興味ないし。「囲い」だの「信者」だのいうのもいらない。別に「アンチ」もいらんけど。過度の馴れ合いをしたくない。してしまったら、成長が止まると思ってる。それに、無意味な部分で被害を被るかもしれない。


でも、格ゲープレイヤーの情報だけはtwitterで確認したいというアレ。


リスト作るか。「自分の見たい情報だけを集める」っていう風にtwitterを活用すれば、それに関しては便利なのかもしれない。何事も取捨選択っつうか。全部の情報なんて受け止めきれない。




で、もう一つ。俺という人間が、ブログやtwitterで「丁寧語」を使うべきかどうか。まあ今さら口調なんて変えられるはずもないけど。別にリプライとかではちゃんと敬語を使ってる。実は常識人(震え声)。あくまでこの口調は、「独り言」という前提で使っている。


でも実際、この独り言は他人にも見える。「えっ、この作者さんってこんな人だったの。きもーい」みたいに見られて、作品を色メガネで見られるのがなんか癪というのがある。俺の人間性の善し悪しと作品単体の善し悪しは別だろうと。そういうところの「摩擦」を軽減させる上で、「当たり障りの無い丁寧語」みたいなのは必須なんだろうか。


でもそれつまんなくね? どこの同人サークルのブログ覗いても、業務連絡をご丁寧にブログに書き込むだけで、「人間味」みたいなのをぜんぜん感じない。サークルtwitterがあるかと思えば、それも業務連絡とサークル同士の馴れ合いツイートばかり。もっと何かあるだろよ。腹の中ではいろいろ思ってんだろ。吐き出せよオラ、って思ったりする。


政治と宗教と野球の話はするなっていう格言(?)がある。要するに「反発が起こるようなことを喋るな」っつう日和見論。


どうせ同人サークルの中の人間だって、あの政党が嫌いだとかこういう思想が気に入らないとかあのクソ球団は今年も最下位でつね、とかいろいろあるに決まってる。そういうのをひた隠しにするのが処世術だってのは理解してる。でも、なんか気に入らない。どこもかしこも日和見主義で、偽善ぶったことを平気で吐いて、囲いと信者のご機嫌を伺って。あなた方の目的は、ファンに媚びて作品を売って金を稼いでひたすらファンに奉仕することなのかよと、まったくもって疑問に思う。


ファンに媚びてばかりでどうする。ファンは作品で屈服させるべき「敵」じゃないのか。敵を喜ばせるだけが目的なのか。嫌われるのだって時には必要だろ。それでアンチになったっていい。


こういうこと書いてると、作品が色メガネで見られるんだろうな。「独立したものと考えて」って思うけど、なかなか難しい。そもそもそれは、ここまでの話と矛盾する。「作品だけ」を見て欲しいなら、当たり障りの無い「立ち回り」をするべきなのかもしれない。でも、それじゃあ単なる一方通行の奉仕活動じゃねえの。そこまで自分を押し殺す必要あるの。


そういうことを、よく悩む。


いつかもっとアクセス数が伸びるなんてことが、もしもあるとするなら、「立ち回り」みたいなものを再検討するべきなんだろうか。ただ、媚び媚びの姿勢になったら、きっとモチベーションがえらいことになる。


自分のように捻くれた社会不適合者は、気に入らない誰かに迎合するのが堪えられない。しかしその姿勢だと、反発がある。どっちがいいんだろうと、考えてばかりいる。


マジョリティーは明らかに日和見主義者。もしくは「無言」を貫いている、作品を供給するだけの奉仕ロボット。どうせ制作者のブログなんてほとんどの人は見ないだろうけど、記録として残ってしまう以上、いざという時に「材料」にされる。サイト運営はもちろん創作活動の二の次だけど、実はサイト運営も創作活動の大事な一環だと理解している。


どうしたものか。自分という人間を押し殺すかどうか。でもそれは、作品を生かすことになるのか。逆に生産性が落ちるのではないか。尖った面白い話が書けなくなるのではないか。あーあ、どうすんだよ。

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