毒の強い小説を一気に読んでしまって激萎え。
でもそういうのに限って面白い。恐いもの見たさ的な意味でも。
ただ、段々積み重なっていくと、あんまり本を開きたくなくなる。
開くことそのものを恐れてしまうと、いろんな作品に触れることを逃してしまう。
最近はこういうのが顕著で、やたらめったら小説を読みたいとか、ゲームをしたいとは思わなくなった。
辛いものに触れれば触れるほど、耐性が落ちていく。
そうなると世界観が狭まっていく。
嫌いなものは嫌いと思えるように過ごしたいけど、少しは許せないと生きづらい。
嫌いなものを好きになろうなんて思わないけど、嫌いな要素一点だけを見て全てを言い切ってしまうのは、何か惜しいような気がする。
でも、嫌いであればあるほど、それに興奮するのも事実。
感情のもっとも原始的な部分で、不安と哀しみがなによりも蜜。
耐性が落ちていくというのは間違いで、本当はどんどん耐性がついていって、もっとドギツイものを求めていってる。
ドギツイものでしか興奮しなくなっていってる。
だから作品の選り好みをするようになってる。
怖い怖いと、饅頭が怖い。
たまに毒のない話を見ると、心底ホッとするものがある。
でもそういうのに限ってサラッとキツい毒を流し、こちらは覚悟していない分、悶絶する。
もしくは気がついていないだけで、ごく自然にそこにある。気がついた時のキツさもなかなか。
面白くない作品だと、別に辛いとかはない。
安易にそのテーマを用いたことに、多少イライラするだけ。
そういうのが積み重なっていって、色んな作品に触れなくなっていく。
207000字(21/119*2) 毒のある話と毒のない話
雑記・その他