ハッキング。
コンピューターにくわしい者がおこなう、技術全般のことだ。
不正アクセスやデータ改ざんなどの「悪行」は、厳密には「クラッキング」という。
ハッカーとクラッカーは、ちゃんと区別するべきだ。
でないと小うるさいオタクに説教される。
ただここでは────「ハッキング」で言葉を統一する。
クラッキングはしょせん、ハッキングという大きな言葉の一部でしかないからだ。
ハッキングは、「hack」という語からきている。
「hack」には複数のニュアンスがある。
「オノやナタでたたき切る」「切りきざむ」「森を切りひらいてすすむ」
イメージとしては、乱暴な開拓。
またそこから、「おおざっぱに正しい仕事をする」という意味もある。
ハッカーの三大美徳────「怠慢」「短気」「傲慢」。
まさにhackの本来の意味にちかい。
ハッカーは労力をへらす手間をおしまず、コンピューター上の問題にだれよりも怒り、プログラミングには神をおそれぬ自尊心をもつ。そして世界を切りひらいていく。
「キーボードをたたく動作が、切りきざむ動作に似ているから」
こっちはバカがかんがえたホラ話だろう。
ハッキングには、3つのプロセスがある。
- 侵入
- 達成
- 掃除
ターゲットのサーバーへ侵入。
データを盗むなり改ざんなり、目的を達成。
そして掃除────痕跡をけす。
わざと痕跡をのこすこともあるが、バレないようにするのが基本だ。
ログファイルという痕跡を、サーバーから除去する。
このログファイルが、くせ者だ。
消すべきログファイルは、複数ある。
すくなくとも10コ弱。
手作業の編集はむずかしく、専用ツールをつかう必要がある。
「神取さんは、お掃除をひとつだけ忘れました」
比奈子がノートPCの画面を指さしていう。
ハッキングうんぬんの知識は、比奈子からの受けうりだ。
ぼくはまったくITにあかるくない。
なお、小うるさいオタクとは比奈子のことである。
「まぁ、これでも十分、称賛にあたいしますが」
「クイーンビーさまが裏ではハッカーとはなぁ」
「クラッカーです」
「いいだろハッカーで。説明つづけてくれ」
「……」
比奈子はムスっとした顔で説明をつづける。
「サーバー管理者がセキュリティ意識の高い人間だった場合、通常のログファイルとは異なる管理手段で、記録をとっていることがあります」
「へぇー」
よくわからないがとりあえずうなづいておく。
「ハッキング対策ずみのサーバーだったわけです。掃除し忘れたログファイルから、アクセスの痕跡がみつかりました。アクセスキーの持ち主は、神取基宏。リサの父親です。ですが……」
「リサの父親はいま────〝あんな状態〟だしな」
神取リサの父親はいま、クジョウの精神病院にいる。
そう、精神病院。
クジョウの仕事で心を病み、酒に依存した。
ドラッグに手をだしたなんてウワサもある。
ふらふら街を徘徊していたところを、警察に保護された。
発見当時、ろれつがまわらず、家族のなまえも思いだせなかった。
ロクでもないオヤジだ。
「実行犯は、神取リサ以外ありえません」
「証拠は」
「物的証拠はありません」
「は?」
ぼくは思わずずっこけた。
「証拠がない!? 初耳だぞ」
「ですが、確信があります」
「……おいおい、もし濡れぎぬだったら」
「キーストロークのクセが、彼女のものと一致してます」
「きーすとろーく?」
「手書きでいう〝筆跡〟のことです」
比奈子はテキストエディタをひらき、キーボードをカタカタさせる。
『若さまのばか いまだにピーマンたべられない』
「おい、なんだその文章」
「たんなる例文です。お気になさらず」
つぎに比奈子は、見なれないソフトを起動した。
やたら数字がならんでいる。
打ちこんだ例文も表示されていた。
「キーを打ちこむときの〝間〟や〝パターン〟から、本人のクセを読みとります。筆跡と同様、かならず明確なクセがでます。これはその専用ツール。非常にたかい確率で、本人かどうか見わけることが可能です。なるべく長文がいいですけどね」
「はぇ~……」
「システムの進み方にも、クセはでます。それらを総合的に判断して────」
「わかったわかった。神取リサが犯人なんだろ?」
「ほんとにわかりましたー?」
「おまえを信じるよ」
ぼくは画面をみつめながらニヤリとわらう。
画面の内容は、正直まったくわからない。
だがぼくも、確信していた。
神取リサには、裏の顔がある。
「神取リサなら、父親の所有物からアクセス方法をしることもできただろう。状況証拠からしてアイツしかあり得ない」
「ええ」
「掃除は、しておいただろうな」
「もちろん。メイドですから」
比奈子は鼻をならし、PCをとじる。
「彼女は気づかないでしょうけどね。いつか感謝してほしいものです。あるいは────若さまがかわりに?」
「……」
「わたしがサーバー管理者でよかったですねー」
比奈子のやつ、恩着せがましい。
「……おまえもハッキングしてただけだろ」
「しっけいな」
自称「クラッカーではないハッカー」は、ジロリとぼくをにらんだ。
「サイバネティクス部門のサーバーセキュリティを強化したのは、実際にわたくしです。兄さんにたのまれて、改善案をだしたんです。それにハッキングではなく、サーバーの脆弱性をしらべていただけで────」
「はいはいわかったわかった。すごいすごい」
「……」
「それで、さ」
ぼくは向きなおり、すこしあらたまる。
神取リサの一件とはべつに、気になることがあった。
「クジョウの────重大な機密情報とかはあったか?」
一部の社員しかアクセスできないサーバー。
クジョウの隠している情報が、そこにある。
気にならないはずがない。
「ありましたよ」
「まじか!? どんなのだ!? キメラに関することとか──」
「残念ながら、暗号化されていて解読できません」
「暗号化ぁ?」
ぼくはガックリきた。
「天才美少女ハッカーならどうにかできないのか?」
「ほめていただけるのは素直にうれしいですが、ムリです」
「……とくいなのは掃除だけか」
「なにかいいました?」
「いやいや、ありがとうって」
だが、妙な話だ。
「────わざわざ暗号化までしてるって、よっぽどの情報だな」
「わたしも気になりました」
「神取基弘か……。もうちょっとしらべておかないとな」
比奈子がいれた紅茶をすする。
血のように赤い紅茶。すこしにがい。
「これで────神取リサをおどす」
ノートPCの背をぽんぽん叩きながらぼくはいう。
「〝反クジョウ組織〟の、リーダーになれと?」
「ああ」
「なりますか、この程度で」
「なるさ」
ぼくには確信があった。
「というか、すでになってる」
「え?」
「天才美少女ハッカーでも、しらないことはあるか」
ぼくはデスクの引きだしから、一枚の写真をとりだす。
「この写真は……?」
「〝ネズミ〟にとらせた」
写真には、神取リサと、複数と少年少女。
リサの自宅でのホームパーティー。
だがすこし────普通とはおもむきがちがう。
「こいつら全員、〝被害者家族〟だ」
「被害者家族……?」
「クジョウでなんらかの被害をうけた、誰かの、子ども。ほとんどは社員の子どもだな」
「いったいどんな話を?」
「ふふっ」
動画の内容をおもいだし、ぼくはほくそ笑む。
「〝クジョウを内側から変えましょう!〟だってさ。カルトの教祖顔負けに、熱弁してる動画がよくとれたよ。おまえもあとでみるか? たいしたカリスマ性だ」
「……」
「こいつら、将来はみんなクジョウに就職するつもりだ。で、クジョウの腐った体制を、内側から改革するんだってさ。これはその決起集会」
「なるほど……これをみつけて、若さまは」
「これはおもしろいとおもった。こいつらを使わない手はない」
「ゼロからつくるのではなく────〝のっとる〟わけですか。彼女の、つくりたての組織を」
「せ~かい」
すでに芽はでている。
あとはそこに、水をたらすだけだ。
根こそぎ、奪ってやるけどな。