スクールカースト。
学校空間で自然発生する、「人気の序列」のことだ。
また「キャラづけ」という文化でもある。
ヒンドゥー教の身分制度、カーストになぞらえている。
スクールカーストは、ひし形(◆)をしている。
上下関係──ヒエラルキーがしめされる。
ひし形は、計4段。
上位グループ
- メジャー運動部系
- 不良系、チャラい系
- イケメン系、美女系
- お笑い系、取りまき系
中位グループ
- メジャー文化部系
- マイナー運動部系
- 金もち系
- パシリ系
下位グループ
- オタク系
- ブサイク系
- ガリ勉系
- 不思議系
最下位
- ターゲット(イジメの対象)
スクールカーストを決定づける、最大の要素はなにか。
カンタンだ。
「コミュニケーション能力」だ。
自己主張ができ、同調できるものが上位。
マウントと、空気をよむことがすべて。
スクールカーストは、過剰な「平等主義」によって発生する。
『おれはスポーツがとくいだ!』
『わたしは勉強がとくいなの!』
子どもたちは、平等を望んでいない。
だれもが個性をもとめている。
だれもが優位性をもとめている。
なのに大人たちは、平等という、不可能をしいる。
『運動会で順位をつけるのはダメです!』
『学業成績でもてはやすのはダメです!』
個性を、のばそうとしない。
みんな横ならびで、おなじ歩幅であるく。
出るクイは打たれる。
『競争はよくないことです』
平等主義で、子どもはアイデンティティ(自己同一性)をうしなう。
運動でも、勉強でも、みなと平等。
他人より努力はしてもムダ。
だって人間は、平等なんだから。
『ふざけるな。自分はがんばってる。ほかのやつらとはちがう』
人間は、アイデンティティをもとめる生きものだ。
そして子どもたちは、無意識に「序列」をうみだす。
「コミュニケーション能力」という、数値化できない能力を基準に。
スクールカーストは、子どもがアイデンティティを失った結果なのだ。
平等が、差別をうむ────
皮肉としかいいようがない。
「あいつに、カリスマリーダーをやってもらう」
学園の正門。
ぼくは歩きながら、あごでさした。
すでに写真と名前はみせてある。
となりの比奈子は、しぶい表情だった。
「彼女に……?」
前方、数メートルさき。
彼女は取りまきたちと歩いていた。
すらっとしていて、スカートが短い。
うっすらと化粧。
美人といってさしつかえない。
よく笑い、トークにキレがある。
デコがでているのは、自信の表れか。
成績は学年トップクラス。
チア部の次期部長候補。
運動神経ばつぐん。
クラスでも人気者。
男子も女子も教師も、彼女には一目おく。
スクールカーストの最上位────「クイーン・ビー」だ。
なまえは、神取リサ。
「ああみえて、クジョウにつよい恨みをもっている」
「……」
「まぁ、しってるよな」
比奈子はリサのことをしっている。
ぼくもよくしっている。
「────気づかれたな」
リサがちらりと、うしろをふりかえった。
ぼくと比奈子は目をそらし、気づいていないフリをする。
「なぜ、彼女なのですか」
比奈子は端末をみながら聞いてきた。
「復讐、ですか」
復讐。
脳裏によぎるのは、2年前のこと。
冷たい水の感触、トイレの汚らわしいかほり。
血の味。
少年少女の笑い声。
アホ共のスキマからみえる、冷たい視線。
あの女だけは、笑っていなかった。
「ちがうさ」
ぼくは否定する。
「あの女に、カリスマリーダーがお似合いなだけだ」