映画『セッション』感想 どうしても書きたくなったので

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※ ネタバレありありなのでご注意ください。

Primeビデオでたまたま観たら、妙に心に残ったので書きます。『セッション』は2014年制作、アカデミー賞3部門受賞の作品です。


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あらすじ

アメリカ最高の音楽学校に入学した青年ニーマンは、「偉大なドラマー」になることに憧れています。ある時、その才能が有名な鬼教官フレッチャーの目にとまり、学内最高のバンドに招かれます。ニーマンは喜びますが、それが地獄のはじまりです。


ニーマンはフレッチャーの「狂気の指導」で徐々に精神をすり減らしていき、しかし「偉大なドラマーになる」ことをガムシャラに目指し続け――みたいな流れです。ただ、単純なサクセスストーリーではなく、そこには「判断のつかない強い狂気」があり、多分それが観る人間の魂をより引きつけたんだと思います。

「鬼教官フレッチャーは結局イイ人なの?」

この疑問は、映画のラストまで引っぱられ続け、結局具体的に明かされることがありません。ただこの疑問は、ぶっちゃけどうでもいいんだと思います。


個人的には、フレッチャーは善人でも悪人でもなく、「ジャズへの愛憎をこじらせた〝狂人〟」という印象でした。ジャズを魂の底から愛しすぎ、「自分が偉大な人材を創りだしてやるんだ!」という目的に囚われ、しかし一度たりともそれは成功せず、手塩にかけた生徒はどんどん潰れていく。フレッチャーは徐々に「愛」と「憎」の区別がつかなくなり、「生徒をいじめる快感」と「生徒を育てる使命感」がぐちゃぐちゃになっていった――自分はそう思いました。


フレッチャーはラストで、(カメラで口元は隠れていますが)ニーマンに一言告げました。この一言、具体的には伏せられていますが、自分は「グッジョブ(上出来だ)」と言ったのだと考えています。そしてこの「グッジョブ」という言葉、フレッチャーはかつてニーマンに対し、「ヒトの成長を止める最悪の言葉だ」と告げています。


フレッチャーは、「狂気の指導」をニーマンに密告され、大学を追われます。その後、善人面してニーマンに近づき、とある大コンサートのドラマーとして招くのですが、「ニーマンにだけニセの楽譜を渡す」という罠で、観客のまえで大恥をかかせ、彼の「ドラマー生命」を終わらせようとします。密告がバレていたわけです。これは「ニーマンを覚醒させるための指導」というより、単に「キャリアを傷つけられた復讐」だったと思います。ですが、覚醒したニーマンに最高の演奏を見せつけられ、やがて恍惚の表情すら浮かべます。このあとに「グッジョブ」の言葉があり、大演奏が始まって映画は終わります。


『セッション』でとても興味深かったのは、「どちらともとれる。あるいはどちらも含んでいる」でした。ラストの「グッジョブ」も、「ニーマンこれから貴様を終わらせてやるぞ」という復讐の言葉ともとれるし、「ニーマンよくやった」と単純に受けとることもできます。少なくとも間違いないのは、フレッチャーもニーマンも「ジャズ狂い」だということ。そして最後の最後に、真に『セッション』した。

観たあと湧いてきた冷静なツッコミ

ジャズは基本一人でやるものではないと思うので、「狂気のエゴイスト」なニーマンとフレッチャーが、真の意味で優れたジャズマンなのかは正直疑問でした。二人の狂気に付き合わされた他のメンバーが気の毒に思えたし、実際みんな終始キョトンとしていました。ただ、「エゴ」がひとつのテーマだったとすれば、それはこの映画において最高の意味で高められたように感じます。


また、フレッチャーの「狂気の指導」は、結果としてニーマンの才能を覚醒させたにすぎず、フレッチャーもある意味予期しなかった、単なる「ひとつのキッカケ」であったと考えます。これで「鬼教官は主人公を覚醒させたし、ブラック指導も致し方なしだったよね♪」となるのは、おそらく「安易に才能を潰す側」の思考だと思います。


ですが、映画を観てる最中はそんなのどうでもよかったです。これは「フィクション」であり、狂気の果てに鬼気迫る「セッション」を見せてくれた。そこでプツンと途切れる。スタッフロールが流れる、音楽が聞こえ続ける。それで終わり――


物凄くムカつきながら、ハラハラしながら、楽しませてもらいました。


以上です。

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